寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

真昆布不漁を憂う

2008年01月15日 | 日記
北海道産の昆布不漁により、大阪の小売り業者が悲鳴を上げているニュースを見た。昨年秋の低気圧によって昆布が流されたのが大きく影響しているようだ。

私はここ数年真昆布を使ってだしをとっている。丸みのあるやさしい味は使用範囲が広い。昆布オンリー、昆布+鰹節、昆布+煮干、昆布+煮干+鰹節など、組み合わせ次第で好みの旨味を作り出せる。

真昆布無しでは美味しい料理は生まれない。値段が多少アップしても、これだけは買い求めるだろう。

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城公園を散歩する

2008年01月14日 | 日記

筋鉄御門を抜けて左手に白い城が見える。やけに若者が多い。なるほど、新成人は城博物館の入場料が今日に限り無料なのだ。しかし、ターンして帰る者がほとんどだった(笑)

昭和20(1945)年8月8日はうだるような暑さだったと聞く。その夜、米軍の爆撃によって国宝だった城が焼失した。祖母はその様子を私に何度か語ってくれた。

コンクリートの城

現在の城は某政治家(故人)が関与する土建屋が再建したものである。戦前の写真と比較すると随分いい加減な造りで、市民にそっぽを向かれるのも当然なのかもしれない。余談であるが、この政治家は宮澤元総理に毛嫌いされて政治生命を絶たれた。

帰り道、石垣に長方形の穴が開いていることに気付いた。城マニアの藤波さんならばその目的を知っていることだろう。

石垣の穴に注目

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時期外れの豆ご飯

2008年01月13日 | 家飯

昨年収穫したグリーンピースを冷凍していた。冷凍品とは言えども風味はさほど落ちていなかった。

私は幼い頃、豆ご飯が苦手だった。プーンと鼻につく豆臭に顔を顰めたものである。あれほど嫌だった豆の香りがこの歳になって許せるようになった。独特の香りこそが、豆ご飯の命であると今は思える。

旬の物をいじくらずに食す料理の最たるものが豆ご飯や栗ご飯と言えないだろうか。時期外れの豆ご飯を食べて大地の恵みに対して感謝の念を抱いた。

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健康と食生活

2008年01月13日 | 日記
体調がいいのはやはり食べ物に気をつけているからだと思う。三十半ばを過ぎた辺りから無理がきかなくなり、酒の量を減らしてバランスよく食べることを続けている。

若い頃の不摂生が祟って欲しい物も口にできなくなり、足首から先を切り落とした老人を何人も見て生活習慣を改めたのである。

肉、魚、野菜をサイクルで食べていくように変えて、肥満から脱するところまできた。もう少し欲しいな、というところで我慢できる年齢になった。老いを素直に認めることが若さを保つ秘訣と私は考えている。

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余計なお世話

2008年01月12日 | 外食

チャラチャラしたうどん屋で釜玉を注文して出てきたのがこれ。丁寧に卵を溶きほぐして絡めてある、単調な味のカルボナーラのように。余計なことをしやがってと思った。どうやっても自分の味が作れないではないか。

私は卵を軽く潰して麺と混ぜるのが好きである。白身と黄身が適度に分離したのに熱が加わると独特の食感の違いが生じる。味に深みというか変化が出るのだ。

出汁割り醤油をほんの少し落として一気にかきこむ(うどんの味を消さない程度に)。薬味は特に必要ない。ねぎはまだよいとしても花鰹は明らかに蛇足である。

久し振りに不味い釜玉を食って胸糞が悪かった。

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新型インフルエンザ流行の恐怖

2008年01月12日 | 日記
知り合いが昨年末に風邪をひいて、いまだに体調が優れないと嘆いていた。私はワクチン接種のお蔭か、寝込むことなく新年を迎え旅行することができた。

海外では鳥インフルエンザが人に感染した事例が報告され、近い内に強い毒性を持った新型インフルエンザに変異して世界的な流行が発生すると専門家は指摘する。

我が国の対策(ワクチン開発など)は世界各国に比べるとはるかに遅れているそうだ。中世の黒死病並の恐怖を私たちは味わうことになるのだろうか。

今日21時からNHKで新型インフルエンザ流行に関するドラマが放映される。これを見て厳しい現実にさらされる前にある程度覚悟を決めておいた方がよいのかもしれない。

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豚玉を焼く

2008年01月11日 | 家飯

我が家のお好み焼きは大阪の豚玉がベースとなっている。焼く前に生地を作る必要がある。

生地の材料(割合は以下の通り)
・薄力粉…200g
・だし(昆布と鰹節)…200cc
・山芋…大さじ1

材料をボールに入れて泡立て器で混ぜ合わせて、冷蔵庫で(トロミが出るまで)しばらく寝かせる。

生地に刻んだキャベツ・天かす・卵を加えて混ぜ、熱したフライパンに移し、豚肉の薄切りをのせてじっくり焼いてゆく。

豚玉

自家製ブレンドソースを塗り青海苔(好みで花鰹)を振って完成。豚の旨みが生地に染みこんで何とも美味しい。

そばなどを入れる「モダン焼」にはあまり魅力を感じない私。料理は大概シンプルな方が旨い(笑)

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熊谷真菜 / 「粉もん」庶民の食文化(朝日新書)

2008年01月10日 | 書籍
たこ焼き研究家の熊谷さんが「粉もの」食文化の歴史と進化をわかりやすくまとめた力作。関西だけでなく関東の文字焼き、どんどん焼きなどにも言及しているのは流石だ。

たこ焼きは明石の(玉子焼きの)アイデアを取り入れて誕生したという推測は正しいと思う。

‥店の屋号は会津屋。これをみたとき、たこ焼きの原点はここにある、と直感した‥昭和初期に話をもどして……。たくさんのラヂオ焼き屋台が街角で子供相手に商売をしていたころ、もっとおいしくしようと、試行錯誤を始めたのが、会津屋の初代、遠藤留吉さんだった‥大阪でもタコは庶民の食材だった‥タコを入れてみたら、これまで試したどの具材よりおいしかった‥薄力粉は「バイオレット」(日清製粉)という一等粉を選んだ…留吉さんは迷わず、「たこ焼き」と暖簾を出す‥ラヂオ焼きから、肉焼きへ。肉焼きから、たこ焼きへ。一九三五(昭和一〇)年、留吉さん二八歳の秋のことだ‥

私が大阪のたこ焼きを初めて食べたのは中学2年生の時だった。中がとろっとしており、表面には醤油が塗ってあった。ソースが当たり前と思っていたのでショックだったが、素朴なおいしさに感動した。それまで自分が食べきたたこ焼きは団子や餅の出来損ないみたいなものだった。

北関東で一人暮らしをしていた頃、その地のたこ焼きがあまりに不味くて自分で焼くようになった。薄力粉をだし(横着する時は市販の顆粒)で溶くからあの旨さが出ることを経験的に知った。

この本を読んで、久し振りに作ってみようかな、との思いが生じた。

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ムーンライトながら(大垣行)

2008年01月10日 | 

東京から大垣に向かう夜行快速列車ムーンライトながら。名古屋に到着する時には全席自由席になっている。7~9号車が切り離され、1~6号車が大垣行となる。

運良くセミコンパートメント席(4人掛けのテーブル付きボックス)の窓側に座ることができた。通路には立ち客が目立った。名古屋から大垣までは約40分かかる。

夜明け前で外は真っ暗。腕組みをして眠る人、音楽を聴く人、読書する人、パンをかじる人など、どの人もお疲れモードである。列車の揺れがやけに眠けを誘う。「尾張一宮」の待合室でおっさんがベンチに寝ていた。

「木曽川」辺りで朝焼けを見た。オレンジ色の空に紫雲が広がっていた。薄もやのかかる「西岐阜」を経て長良川を通過し「穂積」に停まり、列車は終点を目指す。

大垣での乗り換え時間は5分。階段を上がり2番ホームに停まっている東海道本線(加古川行)に移る。乗客は脱兎の如く飛び出して行く。皆考えることは同じである(笑)

ここでもすんなり座れた。私は目を閉じ、フーと息をはいた。それからまもなく深い眠りに入った。

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山本屋総本家(本家)

2008年01月09日 | 

老舗の場所を見つけたのは私の方だった。旧友は苦笑いして本家に入った。既に待ち客が椅子に座っていた。我々はすぐに2階に上がることができた。

店員が「今日はご飯が売り切れました…お客様、そばアレルギーはありませんか」と言った。最初は何のことかわからなかったが、打ち粉にそばを使用しているとのこと。

メニューを見て(名古屋コーチン)親子煮込を注文した。10分ほどして店員が土鍋を持ってきた。蓋をひっくり返して取り皿にする合理性。七味はリコーダー大の竹筒に入っているのが興味深い。

親子煮込

講釈好きの関西人がうどんを食べて「芯がある」とか「生っぽくて硬い」と感想を述べていたが、生粋の名古屋人の言葉を借りれば「これが普通」。関西のひ弱なうどんとは全く別の食べ物なので、比較するのがそもそもおかしいのである(笑)

八丁味噌の風味を最大限生かす「だし」に脱帽。やはり本場の味噌の使い方は一味も二味も違うと感じた。この「だし」をご飯にかけて美味しそうに食べる地元の人に親近感が湧いた。

名古屋の伝統的な食べ物は私にはすんなりと受け入れられた。友は別れ際にこう言った。「これに懲りず、また名古屋に来てくれ」と。

今回の旅では多くの発見と感動があった。視野を広げるには、自分の住んでいる街から外に出るのが一番手っ取り早い。固定観念を覆すのが上手い名古屋にはこれからも足を運ぶだろう。

世話になった友人に「欲張らずに少しずつ名古屋の魅力を理解して行こうと思う」と伝えた。

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栄地区歓楽街での新年会

2008年01月08日 | 

栄地区は居酒屋の間にいかがわしい店がバンバンある。「名●屋城」という看板を見て我々はにやついていた。

今風の居酒屋を大分上品にした感じの店に入った。通された大座敷は二人席専用だった。生ビールで乾杯して喉を潤し、味噌おでんなどを注文した。

熱々の味噌おでん

出てきたおでんが小鍋立風だったのでびっくりした。名古屋の居酒屋は洒落ている。スジ、大根、天ぷら、玉子はよく味が染みていた。予想に反してマイルドな味で好印象を持った。店を出た段階で既に腹八分を超えていた。

「さーて、しめにアレを食うかな」

「おぅアレか。待ってました」

しかし、酔っ払いは肝心の場所をど忘れして、昼同様歓楽街を徘徊する羽目になってしまった(笑)

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奇抜なデザインのオアシス21

2008年01月08日 | 

テレビ塔を背にして左手にゾウリムシのようなヘンテコリンな建造物(オアシス21)があった。

「ありゃー何だい」

「知らん。何時できたのかもw」

「そうなのか。行ってみるかな」

「うん」

空中庭園からテレビ塔を望む

スロープを上がって最上階に出ると浅いプールのような造りになっていた。ここが「水の宇宙船」と呼ばれる空中庭園である。遊歩道を一周して名古屋の夜景を楽しんだ。テレビ塔が朱に点灯していた。

眼下の「銀河の広場」に恐竜と宝石箱のイルミネーションが見えた。そこで子ども達が記念写真を撮ってもらっていた。私達は新年会をやりに歓楽街の方へ向かった。

銀河の広場

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名古屋テレビ塔からの最高の眺め

2008年01月07日 | 

歓楽街で酒を酌み交わすにはまだ少し早いように思われた。「どこか行きたいところがあるか」と聞かれて「別にないわ」と答えた私。友は困った表情を浮かべた末に、名古屋テレビ塔の方に歩いて行った。

日の入

犬山城よりも高いところに上がらせるのか、と思ったが、エレベーターに乗ってしまえば、恐怖感も和らいだ。スカイデッキからスカイバルコニーに移った時がたまたま日の入直前だった。名古屋市街が赤々と輝き、その様子を大人から幼児までが食い入るように見ていた。

ええもんを見て、我々は地上に降りた。ちょうど夕暮れ時だった。テレビ塔が黄金色に変わり、道行く人達が足を止めていた。

夕暮れの名古屋テレビ塔

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国宝犬山城の天守閣に登る

2008年01月07日 | 

犬山遊園駅から城までは徒歩で15分程度である。三光稲荷神社前に露店が出ていた。国宝の犬山城は松江城と同じ位コンパクトであった。友は「登る前に休憩しないか」と言って、茶店で甘酒を啜った。

犬山城とハナミズキ

城の階段はとんでもなく急で、酒を飲んだ中年にはきつい運動だ。ヒーヒー、ハーハー言いながら、天守に辿り着いた。係員が「危険なので手すりにもたれないで下さい」と口酸っぱく注意した。

朽ち果てた木に体重をかけては無傷では帰れないだろうと悟った。そして眼下に広がる景色の美しさに暫く見とれていた。天守閣に登る価値はここにあると言い切ってもよい。

天守閣から木曽川を望む

見ず知らずの老人が「写真を撮ってあげるよ」と言ってくれたので、素直に厚意に甘えることにした。雄大な木曽川をバックにした私の表情は少し強張っていた(笑)

帰り道、小雨が降り出して冷たい風が吹きつけてきた。「やっぱり雨男だな」との突っ込みに苦笑しながら、犬山橋に向かって歩いていた。

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名鉄犬山線に乗って移動

2008年01月06日 | 

満腹になった男達は再び名鉄名古屋駅に引き返し、犬山線に乗った。ほろ酔い気分で眠くなった。途中一回乗り換えて犬山遊園駅で下車した。向かいのホームの上にモノレールが見えた。

犬山遊園駅

横断歩道を渡り、木曽川沿いの道路を直進した。小さな中洲の辺りで鴨の親子が休憩していた。空が次第に曇ってきたので自然と早足になった。

木曽川

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