寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

続・鳥取県の魚介

2008年11月18日 | 

鳥取県O市に遠征して地の魚介を食べた。前回の割烹と比べればかなりくだけた感じの店である。若い板さんと会話をしながら、あれこれつまんだ。

先付けは「マグロの皮ポン酢」。やや癖はあるが、クチュクチュした食感はセンマイ刺しによく似ている。悪くない。「造り盛り合わせ」も価格を考えれば満足のゆくレベルだ。

佳品「飛魚真子の煮物」

広島ではまず見ることのない「飛魚真子の煮物」。飛魚の造りはさほど舌を悦ばせるものではないが、真子の味はすばらしかった。一粒一粒が口の中で弾けるようだ。珍味=美味という稀な例である。頼んで大正解だった。

「青手蟹」を豪快にしゃぶり尽くす

「青手蟹」を食べてみてと言われて、何だそりゃ?、と思ったら何のことはない、ワタリガニ(ガザミ、ヒシガニ)だった。松葉蟹のようなねちっこい旨みの大物は嫌いだが、これは好物である。塩がよく効いており生ビールをすぐに追加した。

ビールが進んでしまう「チリメンジャコのピザ」

最も驚いたつまみを最後に紹介しておこう。極めて薄い生地の「チリメンジャコのピザ」はお腹が膨れないのがよい。バジルの代替品は大葉でちゃんと和風になっており、完成度が高い。既存の食べ方に執着しない点が見事だ。

勘定を済ませて目を丸くした。ほんまにええん?という位安い。前回の失敗はチャラになった(笑)

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鳥取県の魚介

2008年11月17日 | 

鳥取県A市の割烹で食事をした。結論から書くと×であった。味は並、サービスと価格は落第点。

好みの問題なのだろうが、名物のイカがアオリよりも美味であるとはどうしても思えなかった。生牡蠣に関しても「おやっ?」という感じだった。

イマイチだった「生の牡蠣」

何の捻りもない料理の数々に深く失望した。魚介の鮮度のみを自慢する、お目出度い私の地元と大して差はなかったのである。このままで帰るわけにはいかん、との思いを強くした。

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鳥取県のきつねそば

2008年11月16日 | 

日本の伝統的なファーストフードといえば、「そば・にぎり寿司・天ぷら」を指す。どれも江戸時代後期に進化を遂げて現在も根強い人気がある。「うどん」をこよなく愛す広島県人の私は旅をしている時は地域色がはっきり出る「そば」を食べることが多い。

旨みと脂が過多な「ラーメン」には全く食指が動かないが、「そば」は違う。ガキタレの駄菓子の延長に過ぎぬ食い物が、素朴な味わいと香りが売りの「そば」の上を行くことは決してないのだ。私は「そば」を手繰っている時に「日本人として生まれてきて本当によかった」と感じる。

きつねそばに海苔がのせてあるのは珍しい。「花まき」が好きな自分には非常にうれしい。甘じょっぱい汁を飲み干して体が温まった。「もう少し欲しいな」と思う位の量が一番美味しい。

過ぎたるはなお及ばざるが如し、である。粋な日本人は無駄なことはしないが、劣等感に苛まれる移民は愚行を続ける。バランスのとれた教育と食生活こそが健全な精神を育てるのである(笑)

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鳥取市瓦町の衆楽園遊廓跡を歩く(後編)

2008年11月16日 | 

最も強く花街の香りを残す建物が「旅館K」である。橙色の街灯には屋号の他に「君司」と記されていた。これは地酒を指すのであろうか。太平公園の西側には小さな飲食店が密集している。その中に「生肌に墨を入れる店」を見つけて苦笑した。

太平公園から見た飲食店

「瓦町ふれあい横丁」

「瓦町ふれあい横丁」を眺めて「昭和中通り」に出た。玄関に手の込んだ細工を施した大きな家を近くから観察して元妓楼だと確信した。

妓楼3

「山陰合同銀行鳥取営業部」のすぐ近くに円柱形の珍しいコンクリート建築があった。「旧横田胃腸科外科医院」には現在誰も住んでおらず昼間でも不気味な雰囲気が漂う。

栄町の「旧横田胃腸科外科医院」

「本通り商店街」をぶらつくうちに空腹を我慢できなくなってきた。「温かいものを食べよう」という気持ちが生じた。

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鳥取市瓦町の衆楽園遊廓跡を歩く(前編)

2008年11月15日 | 

「花見橋通り」に入ると瓦町である。江戸時代末には池田壱岐守の下屋敷があったが、廃藩後に娯楽場となり(『鳥取市七十年史』)明治11(1878)年芸娼妓が許可されて「衆楽園遊廓」が誕生した。

「通称:三角公園」

通りを直進し「太平公園(通称:三角公園)」に着いた。道はここから二股に分かれてYの字になる。公園周辺に遊里特有の建物がいくつか残っていた。

「妓楼1」

先にも述べたように鳥取市は2度も大きな災害を経験しているので瓦町に残る旧妓楼は赤線時代のものだろう。赤線経営者が売春防止法施工後に飲食店や旅館に商売替えしたことを如実に示している。

「妓楼2」

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鳥取市の印象

2008年11月14日 | 

鳥取市内には歴史的遺構が非常に少ない。それは50年以上前に2度も大きな災害が起こったからである。

昭和18(1943)年9月10日に大地震に見舞われて市の中心部は壊滅した。戦災こそ受けなかったが、昭和27(1952)年4月17日に大火が発生し市街地の大半を焼き尽くした。

松江のように城が残っておらず、情緒ある町並みが少ないため観光客を呼び込む点では大きなマイナスになっている。小さな田舎町というのが私の素直な印象だった。「駅前通り」を真っ直ぐ歩き「栄町パーキング」に到着した。

「太平線通り」を西に進み「花見橋通り」という標識を見つけた。

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鳥取城二の丸三階櫓から市街を望む

2008年11月13日 | 

鳥取城は明治初期に「時代遅れの遺物」と見なされて取り壊されているので天守台や石垣などが残るのみだ。丸の内から二の丸に通じる「城門」を潜り石段をのぼる。

石垣

急勾配で直ぐに息が上がった。「三階櫓」跡に立った私は県庁方面を見下ろして汗を拭いた。「仁風閣」の全景を捉えるには最適の場所と言える。

二の丸「三階櫓」跡

「天球丸」まで行くといい運動になる。すれ違う人達と挨拶を交わして「大手御門(中の御門)」跡を通過した。門の左手が「久松山」、そして右手が三の丸に建つ「鳥取県立西高等学校(旧制鳥取一中)」である。

内堀から「大手御門」跡を望む 左が「久松山」、右が「県立西高等学校」

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国指定重要文化財の「仁風閣」を見学

2008年11月12日 | 

循環バス「くる梨」に乗り15番目の停留所で下車した。東町2丁目の「仁風閣」はそこからすぐであった。

「仁風閣」

白い洋風建築は緑の芝と木々に囲まれて一際美しく見える。この洋館は旧鳥取藩主池田仲博公爵の別邸として明治40(1907)年5月に完成している。

庭園

名付け親は東郷平八郎で、彼の直筆が2階に飾ってある。館内は贅を尽くした造りで山陰における明治文化の一端をうかがうことができる。建物背後の庭園を眺めてくつろいだ後、「鳥取城跡」に足を進めた。

間近で「仁風閣」を眺める

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煎り銀杏

2008年11月11日 | 食材

秋の味覚についていろいろ書いてきたが、大切なものを忘れていた。「銀杏」である。歩道に落ちた銀杏を拾う人を見たのは先月下旬のことだった。鼻をつまみたくなるあの臭いは好きになれないが、今の時期の銀杏は味がよい。

専用の道具を用いて(なければペンチで代用可)銀杏の殻に軽くヒビを入れる。これを封筒に入れてレンジで加熱すれば「蒸し銀杏」になる。更に甘みと香ばしさが欲しいのであれば「煎り銀杏」にするとよい。

フライパンを強火で熱し、銀杏を煎るだけで難しさは何もない。銀杏の実が緑色に変わったら出来上がりだ。火傷に注意して殻をむき塩を振って酒のつまみにする。青みの強い銀杏はモチモチしてほろ苦さよりも甘みが勝る。

料理屋でこれを食べるとアホみたいな値段を取られるので、私は自ら作る。ワンパターンの料理人に無駄な金を払って在り来たりの季節感など教えてもらうのは馬鹿馬鹿しい(笑)

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子持ち鮎の山椒煮

2008年11月10日 | 食材

滋賀県の業者が製造する「子持ち鮎の山椒煮」。「煮浸し」風と言った方が西日本の人間にはわかりやすいだろう。

焼いた鮎を「番茶」で煮て軟らかくして実山椒を加えた調味液でことこと味を含ませる技法は関西で生み出された。実山椒の使い方では京都を始めとする関西系割烹が抜きんでている。

体長約15cmの鮎の腹にはたっぷり真子が入っておりホクホクの食感が楽しめる。甘露煮のように濃い味付けをしないところは流石だ。骨を含めて頭から尾まですべて食べられる。手間をかけて無駄を出さない点は日本料理の基本だ。

番茶を使った調理法で「茶ぶり」というのがあるが、これで「ナマコ」を処理すると歯の悪いお年寄りでも容易に噛むことができる。私は福岡県のある「会席料理屋」でそのやり方を教えてもらった。料理長は仁義なき戦いの舞台になった「呉」の出身であった。

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西武ライオンズ四年ぶりの日本一

2008年11月09日 | 日記
日本シリーズ最終戦に勝利したのは西武だった。八回表の攻撃は野球の基本であった。ノーアウト、デッドボールで出塁した片岡が盗塁、バントで三塁に送り、内野ゴロの間に本塁へ走り込んだ。まさに高校野球のお手本となる試合だったと思う。

西武の選手の顔には「勝ちたい」という執念が表れていたのに対し、巨人の選手にはそれが見られなかった。自然体でプレーした西武は素晴らしかった。メンタル面で巨人は既に負けていたと言ったら酷すぎるか…。

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イナゴの佃煮

2008年11月09日 | 食材

グロテスクなイナゴだが、目隠しをして食べれば小エビの佃煮と間違う人も多いのではないだろうか。それほど濃い味がつけてある。香ばしい珍味で熱燗を飲んだ。

戦時中、イナゴが食料となったことを若い人は知らないと思う。食糧難で極度の飢えに苦しんだ国民の中にはゲテモノを栄養源として口にした者もいた。生への深い執着は動物の性である。

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プロ野球日本一に輝くのはどっち?

2008年11月08日 | 日記
今晩、日本シリーズの第六戦が東京ドームで行われる。王手をかけた巨人がすんなり優勝するか、それとも西武が再び追いつくか。西武が勝てば流れは大きく変わる。テレビにかじりついて両チームの奮闘振りを見ることにしよう。

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小鮒の甘露煮

2008年11月07日 | 食材

知人から貰った小鮒の甘露煮。海の近くで育った私は成人するまで川魚にはほとんど縁がなかった。「戦前に小川で寒鮒を獲って食べていた」と父から聞かされた時は信じ難かったが、山陰で寒鮒の刺身を試して癖がなくて美味なものもあることを知った。

かつて海なし県では蛋白源として鮎や鯉や鮒が珍重された。長期保存する場合は焼き干し(だし用)や甘露煮などに加工した。それが今では土産物として売られている。

鮒は素焼きしてから醤油、砂糖、水飴などで長時間煮て味を含ませたと推測した。骨は気にならず、ワタの苦みが若干感じられるが、甘みが非常に強い。関西ではまず有り得ない味付けである。

「たまには甘いもんもええか」と呟いて焼酎の湯割りを飲み干した。

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秋になって初めて鍋を囲む

2008年11月07日 | 家飯

晩から雨となり気温が下がった。今秋、初めて家族と鍋を囲んだ。豚ミンチで作った肉団子と大量の野菜を出汁で煮る。

鍋のよいところは肉以上に野菜を食べられることだ。しかも非常に安上がりで会話が弾んで楽しい。

一方、鍋ではなく別の出来合い物で侘しい心を温めようとする者が異国にいる。円満な家庭を知らずに育ったおっさんが独りポツンと小汚いラーメン屋で汚染物質のたっぷり入った丼に口をつける。まるでゴム管に反射的に喰らいつくブルーギルみたいに。

長年に亘って摂取した毒が脳に蓄積し、大脳皮質が激減していることに当の本人が気づいていないのは実に滑稽である。だからこそ懲りずに同じ行為をサルのように繰り返し、味雷細胞は損傷を受け続け味覚障害が更に進行するのだ。

やはり○○と味◇痴は死ななきゃ治らない(笑)

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