寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

御菓子司・谷口屋(福山市神辺町川北)の新作・酒粕饅頭

2012年10月22日 | 郷土史
茶山饅頭販売元の谷口屋の敷地はその昔廉塾の一部であったという。神辺に出掛けた際に私はこの店で土産を買い求めることが多い。神辺宿・歴史まつりを見たついでに立ち寄ると新作が出ていた。

新作の地酒饅頭(天寶一酒粕使用)の外袋

「天寶一(てんぽういち)」の酒粕を使用した地酒饅頭は1個120円。私は迷うことなく新作を購入した。封を開けると皮からプーンと酒の香りが漂ってくる。

地酒饅頭

地酒饅頭には滑らかな白餡が入っている

地酒饅頭の中に入っているのは上品な甘さの白あんである。滑らかな舌触りでまったりとした感じだ。バターの添加によって奥行きのある味を作り出している点に感心した。見た目は極普通の饅頭だが、コーヒーや紅茶にも合う。

店が長く続く理由は伝統の上に新たな技術を重ねていくことにあるのだと私は思う。力みのない菓子作りこそが微妙な味の違いが判る客を惹きつけるのだ。

御菓子司谷口屋の地図(谷口屋の名刺から拡大したもの)

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福山市内を流れる道三川

2012年10月22日 | 郷土史
広島県福山市地吹町6の「しもいてはし」より東方を望む。赤茶色の家の右手が下井手川。暗渠化されて分かりにくいが、実は左手の道路脇を道三川が流れている。

つまりこの地点が川の分岐点である。どちらの川も母なる川・芦田川の水をもととしているので兄弟川と言ってもよいだろう。

地吹橋東詰より西方を望む

次の写真は道三川に架かる地吹橋から西方を眺めたもの。道三川はこの橋の前後でクランク型となり住宅街を経て霞小学校・中央公園の裏手へと流れていく。

地吹橋より南方を望む

地吹町を流れる道三川

最後は松浜町3丁目6から東方の工場地帯を撮影した写真。城下町特有の水路はこのような経路で海へ注ぐ。小さな川の流れと名前を把握するだけでも結構骨が折れるものだ。

松浜町3丁目から見た道三川

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元祖神辺うづみ御膳を試食(福山市神辺町の廉塾にて)

2012年10月21日 | 郷土史
絶好の行楽日和となった今日私はチャリンコに乗って神辺まで出かけた。ある人から「今度神辺で祭りをやるからおいで。ほんとのうづみを食べてもらいたいね」と誘われていたのである。

あちこち寄り道をしたので会場の廉塾に着いたのは午前11時20分頃であった。元祖神辺うづみ御膳の食券を購入(400円)。縁起のいいキリ番をゲットし列に並んだ。

うづみ御膳ができるのを待つ人達

廉塾の畑で収穫したサツマイモで作った大学芋(100円)

メニューはうづみ御膳の他に廉塾の畑で収穫したサツマイモで作った大学芋(100円)と味のよくしゅんだおでんがあった。大学芋は安いとあって飛ぶように売れていた。

うづみを準備する女性陣

黙々とうづみの準備をする女性陣を見るのは気持ちがいい。10分ほど待って御膳を受け取り土塀の前に設けられた食事スペースに移動した。

元祖神辺うづみ御膳(400円)

神辺うづみ御膳はメインのうづみに紅白なます・佃煮・香の物・柑橘がつき彩りも鮮やかである。これで400円はお値打ちだ。

具だくさんの神辺うづみ

うづみは小エビ、里芋、松茸など具が沢山入っており味は良かった。私を誘ってくれた男性が「うづみで儲けは考えていない(赤が出なければいい)。祭りを見に来た人に満足してもらうことが一番大切だ」と言われていたが、祭りは本来そうあるべきだと私も思う。旧深安郡神辺町(七日市上自治会)の人がわざわざ「元祖」とつけた意味がよく分かった。

廉塾中庭土塀に貴重な写真が展示されている

廉塾中庭土塀に貴重な写真が展示されている(新刊の宣伝)のを見て神辺宿を後にした。水野勝成公が福山城を築くにあたって神辺城の櫓や門を再利用したことを意外に福山市民は知らない。

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備後の紙垂(しで)は伊勢流

2012年10月20日 | 日記
紙垂(しで)をつけた縄を玄関先に張る。備後国福山では9月下旬から10月末にかけて見られる風景である。紙垂は伊勢流と呼ばれるもので注連縄は祭りの前日までに取り付けて神輿を迎えるのが慣わしである。

秋祭りが終わると田んぼの方もすっきりすることだろう。町の木々は緑から茶褐色へと次第に色合いを変えていく。

稲刈りはまだ終わっていない

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ワタリガニのメスを蒸す

2012年10月20日 | 家飯
ワタリガニのメスはふんどしの部分が釣鐘型である。カニを選ぶ場合の重要なポイントは甲羅が硬くてずっしりと重いこと。ハサミが欠けたものは比較的安く売られている。

甲羅を外したワタリガニ

カニの甲羅を外して肺を毟り取る。元の形に戻して甲羅を下にして15分から20分蒸す。赤くなったカニを手づかみで豪快にしゃぶり尽くす。ワタリガニの肉は大柄のカニと違って上品な旨みである。

ワタリガニの蒸し物

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けったいな柄の解体用ユンボ

2012年10月19日 | 日記
市内某地区で木造家屋が取り壊されていた。一見別にどうってことのない風景だが、白いトラックの後ろで動くユンボの柄に私は驚いたのである。

何とキリン柄であった。そして作業を眺めているとまるでキリンが長い首をゆっくりと動かしているようだ。私は「ええもん見せてもろーたわ」と言ってユーモアあふれる解体業者に拍手を送ったのである。

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海軍さんの肉じゃが

2012年10月19日 | 家飯
発祥の地として名乗りをあげる広島県呉市と京都府舞鶴市。肉じゃがが大好きな私にとっては正直どちらでもよい。我が家の肉じゃがは海軍さんのレシピよりは糖分と色は控えめに仕上げている。今回は牛肉を使ったが、関東に居た頃は豚肉じゃがが主流であった。所変われば材料も違ってくるから食文化は面白い。

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きんかんと玉ひもの煮物

2012年10月18日 | 家飯
鶏もつの一種であるきんかんと玉ひもは普通セットで売られている。きんかんは未成熟卵、そして玉ひもが産道である。我々が買い求める場合はもつ臭を和らげるために塩水で洗ってから一度ゆでこぼすと良い。

下ゆでしたもつを甘辛く煮しめるか、それとも出汁であっさり煮含めるかは個人の好みだ。私は大阪や兵庫の居酒屋で出されるもつ煮の味付けにしている。酒をたっぷり使い、薄口醤油で味を決めるのがポイント。

余談になるが、焼き鳥屋の隠れメニュー・ちょうちん焼きは鮮度抜群のきんかんとたまひもを串焼きにしたもの(大体1本150~200円程度)で癖になる味だ。名の由来は串を握った様がまるでちょうちんを提げているように見えることから。レアな状態のきんかんが堤燈、握り手が玉ひもを巻いた竹串である。

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広島県産ワタリガニ(ガザミ)

2012年10月18日 | 食材
スーパーなどでワタリガニ(ガザミ)をよく見かけるようになった。12月以降正月前にかけては値段が跳ね上がるので今の時期に買い求めるとかなり安く食べられる。おすすめは11月中旬辺りで、内子がびっしり入っているはずだ。瀬戸内の人間にとってワタリガニは特別な食材である。

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福山市古野上町の水道局前バス停(鞆鉄)

2012年10月17日 | 郷土史
福山市水道局横、鞆鉄の水道局前バス停の後ろに古野上大師堂がある。お堂の入り口に八十八ヶ所の結願寺(けちがんじ)である大窪寺(香川県さぬき市)の木札が掛けられている。

古野上大師堂(八十八箇所霊場の最終札所)

四国のミニ霊場が市内に点在しているのは一昔前までお遍路さんの旅に出ることが時間的にも経済的も困難であったことを示す。札所全部の場所を調査してはいないが、ここから逆打ちをして歴史の明暗に触れるのも面白いかもしれない。

古野上町の水道局前バス停背後にある地神さん

尾道往還沿いにはかなりの数の地神や石仏が残されている。道路整備などで元の位置からは幾分かずれているのだろうが、村境を知る手がかりである。往還をもう少し西へ歩いていくと右側に緑色のフェンスで囲まれた公園が現れる。その中に川向こうの実業家が社会貢献の一環として寄付した休み石が今も残る。

大正二年二月に設置された休み石

横長の石の表面には「大正二年二月 沼隈郡瀬戸村 安達富五郎設置」の銘がある。休み石の上に寝転がる男女が一瞬刑死者の姿に見えて私は顔を顰めた。

休み石の上に寝転がる男女

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時代に取り残された町に共通する事柄と対策

2012年10月17日 | 日記
広島県に限って言えば米軍の空襲を受けた都市は敗戦後驚くべき復興を遂げた。そして時代の流れに対応して街の姿を変えている。これに対して戦前(明治~大正期)の栄光が霞んでしまう程没落したところがある。明暗を分けた要因とは何だろうか。私は衰退の条件として以下の5つを挙げる。

1.主要な産業(工業地帯など)がない
2.平地が少なくて傾斜地だらけである
3.水運の衰退で港としての機能を完全に終えた
4.山陽本線のルートから遠く離れた不便極まりない地で住民の柄がすこぶる悪い
5.皮肉にも色街の完全否定によって過疎化が急激に進んだ

没落した町が細々と生き残る道は観光くらいしかないのに、方向性が定まらないケースは悲惨である。実は異論反論を封じ込める、いびつなムラ社会こそが最大の癌であることに気づいていない住民。若い者が見切りをつけて出て行くのにはそれなりの理由がある。

大きな箱物や道路を整備すれば人口が増えると考えるのは大間違いで、自分の立ち位置をしっかり認識するところからスタートせねばならぬ。そして柄(≒性根)の悪い田舎町を一人一人が直していこうと努力することが最も重要だ。

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くれ情報ステーション(広島ホームテレビ制作・毎週月曜日放送)

2012年10月16日 | 日記
城みちる氏の嫁さんが毎回違ったコスプレで登場し呉市の魅力を紹介する情報番組である。4分枠でセンスよくまとめていると思う。テーマソングの「呉市・呉市・大呉市」の替え歌で「ビンゴ・ビンゴ・ガラワールイー」というのがあるのをご存知だろうか。地元の子供が歌っているのを聞いて、あまりに的を射た表現なので爆笑した。

我が街においても一応呉市と同様の番組が土曜日に放送されるのだが、内容はとてもとても…(以下愛のある省略)。番組最後に出るナンタラ標語が街人(まちにん)には非常に不評である。他地域の人間がアレを見てどう思うのかを想像できない時点でアウトだろう。偏向思想の押し付けが実は嘲笑の種になっていることをもっと自覚すべきである。

私は自分を可哀相だと言って泣いたり激昂する輩(悪臭を放つ大根役者)を絶対に信用しない。そういうのに限って視野狭窄的な同族マンセー病に侵されている。

JR福山駅に停車中のサンライナー

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JR山陽本線・沖踏切を通過する普通列車

2012年10月16日 | 日記
東深津町5丁目から見た沖踏切周辺。かつては私の近所も低い土手の上を電車が通過していた。『保存版ふるさと福山(2011年)』に「昭和45年12月、新幹線計画が決定。翌46年2月に工事が着手された。山陽本線・福塩線が高架となり、平面交差がなくなって街が様変わりした。」と書いてあるように、野原で大規模な工事が始まったことはぼんやりと覚えている。

それまで土手の周りは土筆が生え、野原は虫の宝庫で悪ガキ達の遊び場であった。私は野原でコオロギやバッタをよく捕ったものだった(昭和47~48年頃)。山陽新幹線の開通は昭和50年(1975)3月、小学校入学の直前だった。私は福山に新幹線が停まることを心から喜んだ。

田んぼや畑が急激なスピードで失われ家が建ち始めたのはそれから数年後であった。洟垂れ小僧の頃は公園の遊具の上に立てば遥か遠くを見渡せたものだが、もはや叶わぬ夢になっていた。その時ほんのちょっぴり寂しい気持ちをおぼえた。

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鯛の鱗を引く

2012年10月15日 | 食材
鯛や鱸(すずき)の鱗(うろこ)は硬い。自分で捌くとなると鱗引き(鱗取り器)が必要だ。この調理器具を尾から頭の方へ滑らすと鱗がバリバリとはがれる。私は流しを極力汚さないように古新聞を広げて作業する。最後は鱗を新聞で包みゴミ箱へ捨てるのである。

プロ用には鱗が飛ばないタイプの鱗引きがあるようで、先端が塵取りのような格好になっている。鱗をまとめてポイできるので私も一本欲しくなった。はがした鱗は普通捨てられるが、料理屋によっては素揚げにしてつまみとして出すところもある。鱗の天ぷらはサクサクの食感なのでもろみ味噌などに混ぜ込むとオツな酒肴になる。

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備後国福山の基礎を作った水野勝成公

2012年10月14日 | 郷土史
私がこの世に生を受けてから福山城公園へは100回以上足を運んでいる。飽きがこないのは毎回何がしかの発見があるためだ。季節ごとの草木の変化を見るのもまた楽しい。

先日内堀跡を示すモニュメントが県立歴史博物館へ行く道中にあることを知った。ただし暗すぎて文面が非常に読みにくい。城の遺構を示す標識の作り替えと増設を真剣に検討すべきであろう。

福寿会館の庭園から福山城を望む

福寿会館の庭園に入り福山城を望む。このアングルから見た城が私は好きである。福山の街の中心でのんびりできる数少ない空間の一つとして皆さんに紹介しておく。

水野勝成公の銅像(福山城公園内)

庭園を出て城に戻る途中で水野勝成公の銅像を見つけた。阿部正弘公の銅像と比べると非常に目立たない場所に建っているのはどういう理由なのだろうか。

福山の原型を作った武将をあまりにも軽視していることに怒りがこみ上げてきた。彼の業績を正当に評価する教育を小・中学校で行う必要がある。大学の先輩がかつて私にこんな話をしたことがあった。

「歴史を疎かにする者は結局、質の悪い同族ともぶれる(≒戯れる)だけで全然賢うならん。あれらのルサンチマン(賢者や富める者への怨念)は実に醜い。欲深い連中はあと1段上ればゴールという所で足を踏み外し坂を転げ落ち首の骨を折るんよ」

私がふき出して「思い上がった時点から人間の畜生化が始まるってことですかね」と言うと先輩は「悪行を重ねる世の嫌われ者には罰があたって当然」と付け加えて高らかに笑った。

水野勝成公の業績を記した銅版

福山城周辺地図(福山城博物館のパンフレットより拡大)

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