tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

すべてのそうめんは奈良に通ず

2008年08月26日 | グルメガイド
8/13の当ブログに「三輪そうめんと揖保乃糸」、8/21に「小豆島と島原のそうめん」という記事を書いた。
※三輪そうめんと揖保乃糸
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/ad76c540b6867d1cf8110f00e78da2af
※小豆島と島原のそうめん
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/74af27c6cb40a31506030d88260af5ac

揖保乃糸や小豆島そうめんのルーツが「三輪そうめん」だったことを突き止めたのだが、「もしかして、それ以外のそうめんは、全く別の系統では…」という不安が残る。私は「好きなそうめん」アンケート(07.8.14付 朝日新聞夕刊)の上位5品目を調査したのだが、念のため、残り5品目についても調べてみることにした。

なおアンケートに載っていたのは、1位.揖保乃糸(兵庫)、2位.三輪そうめん(奈良)、3位.稲庭そうめん(秋田)、4位.小豆島そうめん(香川)、5位.島原そうめん(長崎)、6位.半田そうめん(徳島)、7位.白石温麺(うーめん 宮城)、8位.五色そうめん(愛媛)、9位.北の手延べそうめん(北海道)、10位.神埼そうめん(佐賀) の計10品目だった。
http://17.pro.tok2.com/~soki/ibonoito.html

まずは6位の「半田そうめん」。冒頭の写真がそれで、太くてシッカリした麺が特徴である(8/22撮影)。四国放送のホームページによると、

《半田町の小野浜港は江戸時代中期、吉野川での帆船交通が発達していた頃に半田町の玄関口として栄えた港で、この港があったからこそ「三輪そうめん」で有名な奈良の三輪地方からそうめん作りの技術が伝えられたんです。そして、その技術を伝えたのは素麺職人ではない意外な人達でした。なんと船を操る船頭さんたちが見よう見まねで伝えたのが「半田そうめん」の始まりだったのです》。

《半田そうめんの大きな特徴であるこの麺の太さ。三輪そうめんに比べると10倍も太いんです。船頭さんたちが自分で食べるために手間をかけずに作った素麺が原形となったため「麺が太くなった」のだといわれています》。
http://www.jrt.co.jp/tv/asa630/databank/roots/011213.htm

なるほど、半田そうめんも三輪から直接伝えられたのだ。7位の「白石温麺」はWikipedia(温麺)に出ていた。

《江戸時代初めに白石に住んでいた大畑屋鈴木浅右衛門が、胃腸の弱い父親のため、旅の僧に教わった油を使わない麺の製法を苦心の末会得して創始したと伝えられる。浅右衛門は名を味右衛門と改めて温麺製造を業とした》。《油なしで細い素麺を作る製法はこれ以前に大和国を中心に上方に存在しており、その技術を取り入れたという経緯らしい》。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A9%E9%BA%BA

綿実油を使う三輪そうめんに対し、大和郡山の「石州麺」(油不入[あぶらいらず]麺)は、江戸初期に片桐石州が考案したもので、秋田の「稲庭うどん・稲庭そうめん」のルーツである。だから温麺は石州麺系である。秋田と宮城は県境を接しているから、旅の僧とは秋田のお坊さんだったのかも知れない。

なお温麺というネーミングは《その麺を父に食べさせたところ、父に食欲が戻りたちまち回復したそうな。この話は町中に広まり、白石の領主の片倉公からその温かい思いやりを誉められ「温麺」と呼ぶことになったと伝わっています》とある。
http://www.citydo.com/soumen/men/men_06.html


三輪そうめんと柿の葉寿司のセット(8/22撮影)

8位の愛媛「五色そうめん」は、一筋縄ではいかなかった。由来は「まんが五色そうめん物語」に詳しいが、簡単にいうと愛媛そうめんの歴史は、寛永年間に国替えで松山藩主になった松平定行に随行して伊勢の桑名から移住した長門屋市兵衛というそうめん商人に始まる。
http://www.goshiki-soumen.co.jp/

桑名そうめんのルーツはネットでには出ていなかったが、お隣りの四日市の「大矢知そうめん」(伊勢そうめん)の話がヒットした。

《大矢知そうめんは、約200年前(江戸時代末期)から「三重の糸」「伊勢そうめん」として知られ、農家の副業として生産されるようになりました。言い伝えによると、ひとりの旅の僧侶(そうりょ)が朝明(あさけ)川のほとりの農家に一夜の宿を請(こ)うた際、親切にもてなされたお礼として、そうめんの作り方を教えたのが起こりといわれていますが、また、播州(ばんしゅう)兵庫県、現在もそうめんの生産地であり、“揖保(いぼ)の糸”の名で知られています)からそうめん製造者が大矢知に移り住んだことが始まりとも言われています》。
http://jibasanmie.or.jp/home/2006/06/post_31.html

ここでも旅の僧が登場する。坊さんの出自は分からないが、兵庫県からそうめん業者が移り住んだという後者の説を取れば、三輪→揖保→伊勢→愛媛 というルートになる。

9位の北海道「北の手延べそうめん」は、食べたことはもちろん、聞いたこともなかった。ネットで検索してもうまくヒットしない。わずかに「NPO法人しもかわ観光協会」(上川郡下川町)のHPに「日本最北の手延べ麺の里を知る」という記述が見つかった。

《手延べ麺をはじめとする、下川町における製麺の歴史は、北海道内大手の製麺事業所である(株)菊水が「杉野製粉製麺工場」として下川町で創業したことに始まります。当時の菊水社長の杉野森一氏と町内で米穀店を営む倉本博氏が農家の副業用として「手延べ麺」の製造を考え、本場兵庫県より「手延べ」の技術を導入したことから下川町に新たに「手延べ麺」の歴史がスタートしました》。
http://www.shimokawa-kankou.jp/tenobe_top.html

(株)菊水は、よくスーパーなどで見かける「北海道名物寒干ラーメン」のメーカーだ。兵庫の手延べは「揖保乃糸」の系統だから、「北の手延べそうめん」は三輪発揖保経由のルートということになる。

最後は10位、佐賀県神埼(かんざき)市の「神埼そうめん」だが、こんな記述があった。

《寛永の中期(1630年代)に、小豆島の雲水が、諸国行脚の旅を続けているうち、神埼宿で病に倒れてしまいました。それを助け、手厚く看病してあげたのが、神埼宿の小間物振売り(行商人)でした。雲水は、感謝の印として郷里の名産である、『手延べそうめん』の製法を伝授したのが始まりだと伝えられています》。
http://men-monogatari.co.jp/hiroba/QA/menhis.html

またまた旅の僧(雲水)が登場する。そうめんと坊さんは、よほど前世の因縁が深いようだ。結局、神埼そうめんは、島原そうめんと同じく三輪発小豆島経由のルートだったのだ。

さて、これでベスト10すべてを調査したことになるが、まとめると

1.揖保乃糸(兵庫)<三輪そうめん
2.三輪そうめん(奈良)
3.稲庭そうめん(秋田)<大和郡山の石州麺(⇔三輪そうめんの改良型)
4.小豆島そうめん(香川)<三輪そうめん
5.島原そうめん(長崎)<小豆島そうめん<三輪そうめん
6.半田そうめん(徳島)<三輪そうめん
7.白石温麺(宮城)<石州麺(⇔三輪そうめん)
8.五色そうめん(愛媛)<伊勢そうめん<揖保乃糸<三輪そうめん
9.北の手延べそうめん(北海道)<揖保乃糸<三輪そうめん
10.神埼そうめん(佐賀)<小豆島そうめん<三輪そうめん

10品のうち8品が三輪そうめん系、2品がそのライバルの石州麺系ということになる(インスタントラーメンの、油揚げ麺とノンフライの2系統のようなものか)。

ふぅ~。そうめんのルーツ探しは骨が折れたし友人の助けも借りたが、これほどきれいに結果が出そろうと、私の気分はそうめんのように清々しい。

桜井市(三輪)と大和郡山市(慈光院)という違いはあるにしても、すべてのそうめんは奈良県にルーツがあるのだ。いずれ詳しく紹介するが、饅頭のルーツも奈良市である。奈良県民の皆さん、「奈良にうまいものなし」などというあらぬ誤解を払拭するためにも、そうめんのウンチクをぜひご活用いただきたい。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする