tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

これはうまい!天日干し「龍(たつ)ひかり」by 龍田古道景観保全プロジェクト

2024年11月30日 | 奈良にこだわる
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」会員で、龍田古道景観保全プロジェクト代表を務める垣本麻希(かきもと・まき)さんは、龍田古道沿いの田んぼを買い受け、お仲間と田植え・収穫した米「龍ひかり」(品種はヒノヒカリ)を、近鉄百貨店橿原店1Fの「プラグス マーケット」(11/27~12/3)や、垣本さんの「ギャラリーカワリ」(0745・51・8001)で販売中。
※お米とご飯の写真は私が撮影。他の5点は垣本さんのFBから拝借





早速昨日(2024.11.29)、近鉄百貨店に買いに行った。すべて2kg詰めで(販売者=株式会社カキモト)、天日干しが@2,484円(税込み)、協力農家さんのお米が@1,944円(同)。私は天日干しを1袋購入。早速、今朝(11/30)の朝ご飯にいただいた。シッカリと米粒が立ち、自然な甘みがあって、とてもおいしいお米だ。おかずがいらないくらいだった。





「龍ひかり」の墨書の揮毫は、書家で前今井町町並み保存会会長の若林梅香(稔)さん、デザインは墨アーティストのイマタニタカコさん。しかもお米は減農薬米、という凝りようである。







垣本さん、プロジェクトのご成功、おめでとうございます。これからも、龍田古道の景観保全にお努めください!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飛鳥宮跡の北側に、大型の建物跡が出土!

2024年11月29日 | 奈良にこだわる
昨日(2024.11.28)の新聞各紙に、飛鳥宮跡の北側で大型の建物跡が見つかったと報じていた。毎日新聞奈良版〈内裏? なぜ「内郭」の外 飛鳥宮跡北側に大型の建物〉によると、
※トップ写真と地図は、毎日新聞の記事サイトから拝借した

明日香村の飛鳥宮跡北側の7世紀後半の遺構が、東西35.4メートル、南北15メートルと宮最大の建物跡であることが確認された。27日発表した県立橿原考古学研究所(橿考研)は「天武、持統両天皇の住まい『内裏(だいり)』と考えられる」とするが、宮殿中枢「内郭」外側に位置しており、なぜ塀の外に重要建物があるのか謎は深まっている。【皆木成実】

遺構は2009年度に見つかり、22年度にも関連遺構を発見。今回の発掘で建物南東角部分の柱穴計14カ所が見つかり、推定だった建物規模が確定した。柱列は二重にあることから寺院建築などにみられる四面庇(ひさし)付き建物とみられる。東西の端だけ柱間が中間部より広いという平城宮内裏と同じ特徴もあり、南向きに建てられている構造や規模を考えても、内裏の可能性が高いという。



飛鳥宮の内郭外には南東側にも「エビノコ郭」と呼ばれる区画がある。中央の建物跡は東西29・2メートル、南北15・3メートルと今回の建物に次ぐ規模で、国家儀礼の場「大極殿」とみられている。飛鳥宮内郭には天皇の御殿「内安殿(うちのあんどの)」、臣下が控える「外安殿(とのあんどの)」、酒宴の場「大安殿(おおあんどの)」とみられる建物跡があるが、いずれも今回の大型建物より規模は小さい。

藤原宮以降は内裏や大極殿は内郭内の中央部に配置された。また宮のモデルとなった古代中国の都城は異民族の侵入に備え、高い城壁で中枢部を守る厳重な構造だった。鶴見泰寿・名古屋大教授(考古学)は「藤原京遷都を控えた仮の内裏だったため、内郭の外の空いた場所に建てたと考えられる。今後の調査による解明が期待される」と話している。現地説明会は11月30日と12月1日の午前10時~午後3時。問い合わせは橿考研(0744・24・1101、平日のみ)へ。


「藤原京遷都を控えた仮の内裏だったため、内郭の外の空いた場所に建てた」という説には、説得力があるように思う。皆さんは、ドー思いますか?

毎日新聞奈良版(2024.11.28 付)


奈良新聞(同)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉野町・宮川美枝子さん初のエッセイ集『吉野の詩人』(京阪奈情報教育出版刊)を読む/奈良新聞「明風清音」第112回

2024年11月28日 | 明風清音(奈良新聞)
奈良新聞「明風清音」欄に月1~2回、寄稿している。今月(2024.11.21)掲載されたのは〈吉野のエッセイスト〉だった。吉野町在住の宮川美枝子さんが、初のエッセイ集を刊行された。

私は「推薦のことば」のリクエストをいただいたので、ひとあし早く、ゲラ刷りを読ませていただいた(私の「推薦のことば」は末尾に記載)。初のエッセイ集というのに、その完成度の高さには目を見張った。では、記事全文を抜粋する。

吉野のエッセイスト
11月15日、吉野町にお住まいの宮川美枝子さん(77)が、初のエッセイ集を刊行された。それが『吉野の詩人』(京阪奈情報教育出版刊 税別1200円)である。珠玉の77編が収録されていて、ほとんどが本紙「雑記帳」欄に投稿されたものだ。

本書の表題である「吉野の詩人」とは、吉野町出身の故池田克己氏のことである。氏は詩人、編集者、写真家として活躍され「日本現代詩の先駆け」とも言われた人であるが、41歳で早世された。

宮川さんは学校(旧吉野工業学校、旧吉野工業高校)の先輩でもある池田氏に、私淑されていた。宮川さんは俳句も短歌も嗜(たしな)まれるし、評伝などノンフィクション作品も多いが、文学に興味を持たれたきっかけは、詩作だそうだ。私は本書推薦文のご依頼を受けたので「吉野の風土・風物が匂い立つ好エッセイ」のタイトルをつけた。

本書に登場する「吉野の風物」とは、背山から吹き下ろす山風、吉野川の川霧、吉野山の紅葉、阿太高原の梨、東吉野村の干し柿、こばし餅店のやき餅、吉野杉の印鑑ケース、文様割箸、吉野の金柑(きんかん)など。普段の吉野の暮らしの中から、自然と浮かび上がってくるものばかりだ。吉野には俳句や短歌の結社が多いが、このような恵まれた環境にお住まいなら自ずと詩心が湧き出てくるのかも知れない。

本書各章のタイトルは、吉野の四季、吉野人、食物語、60歳のラブレター 絆、出会い、家族、竹ざしと、吉野での心豊かな生活ぶりがうかがえる。吉野町に生まれ、吉野町にお住まいの宮川さんは、今までずっと吉野に住み続けていたわけではない。51年前に東京に嫁ぎ、定年退職された11年前、ご主人とともに吉野に戻って来られた。長年の東京生活があったからこそ、地元の良さを改めてかみしめておられるのだろう。

「宇宙の声」という一篇がある。〈秋の夜、草むらに生息する虫の声が融合して、軽快な音色を醸し出している。まるで宇宙が鳴らす鈴のよう。(中略)この地に住むようになって、この音色を聞くたびに、私はそう思う。宇宙に声があるとすれば、もしかしたらこのような響きかも知れないと〉(本紙「雑記帳」2018.11.14)。吉野の草むらの虫の声から、壮大な宇宙に思いを馳(は)せている。

「鉄橋のある町」には、〈夕日を浴びながら、近鉄吉野線二両電車は、大和上市駅から吉野神宮駅への鉄橋を渡っていた。吉野川を真ん中に雄大な風景に、息をのんだ。上市橋を自転車で走っていた私は、その神々しさに見とれた。(中略)山が聳(そび)え、川が流れ、鉄橋のある町。わが町は弥生式土器、縄文式土器が出土した、まほろばである〉(同24.3.11)。

「早春の川」には、〈真夏、大阪方面から来た都会の子らが、水遊びをして賑(にぎ)わっていた吉野川は、今、鴨(かも)が渡来し生息していた。夜行性の鴨たちは昼間、縦一列になって水の中に浮かんだり、時には小さな岩に上がり、群れでゆったりとした時間を過ごしていた。

(中略)水量のなみなみとした夏の吉野川を人間に与え、水の少ない冬は渡り鳥用にと、天は人間との共有を考え、粋なはからいをしていたのかも知れない〉(同23.3.29)。小動物に注ぐ目は、とてもやさしい。

「杉の香り」には、〈春、杉は轟音(ごうおん)のような勢いで水を吸い上げ、暑い夏を越し秋を迎え、やがて冬を。春に水を吸い上げすぎた杉は、冬には凍って自爆し、塔婆のような姿になってしまう。また雪が多い年は、その重みで木が折れてしまうこともある〉
(同17.10.11)。

吉野のエッセイストは、厳しい自然界の掟を書き留めることも、忘れないのだ。ぜひ、ご一読をお薦めしたい。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)
※本書に関するお問い合わせ先:京阪奈情報教育出版(0742・94・4567)


(ご参考)推薦のことば 吉野の風土・風物が匂い立つ好エッセイ
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」専務理事 鉄田憲男

宮川美枝子さんとは、2022(令和4)年に刊行された俳人・故岩田まさこさんの俳句と生涯を紹介された『惜春の大地 中村汀女を師と仰いだ吉野人の軌跡』(京阪奈情報教育出版刊)を拝読して以来のお付き合いです。

その後も宮川さんは、奈良新聞「雑記帳」欄にエッセイの投稿をを続けられ、短歌もお始めになりました。私より6歳先輩の後期高齢者のはずなのに、「このパワーは、どこから生まれてくるのだろう」と不思議に思っていました。

その疑問は本書を読んで、氷解しました。きれいな空気、おいしい水、それらで育てられた地元のとれたて野菜や果物。心やすらぐ吉野の風景、優しいご家族ご親族やお友だち。このような環境にいらっしゃるから心が満たされ、また感受性が研ぎ澄まされ、良いエッセイが次々と生まれるのだな、と納得しました。

例を挙げますと、「蜩(ひぐらし)」(17ページ)の一篇。〈夏の夕暮れ一匹の蜩が歌い出すと、さらにもう一匹が。独唱が輪唱となり、何百匹もの蜩の合唱となっていく。夕方、こんもりとした背山(せやま)がその音色に染まった。

(中略) 蜩の合唱はやがて隣の山へと移行していく。何と壮大な光景だろう。その昔、この地は南北朝時代の舞台となったところ。何千、いや何万もの、数えきれない死者が大地に埋まったことだろう。クリスタルのような音律は、地中深く眠っていた古人の言霊(ことだま)が、蜩の化身となって歌っていたのではないだろうか〉。

「カナカナカナ」という蜩の合唱から、南朝の死者の霊に思いを致す。吉野の風土が生み出した名篇と言えるでしょう。

また「天日干し」(80ページ)。〈同級生が私の傍にきた。「近所から渋柿をいただいて、干し柿にしたの。酢の物に入れると美味しいよ」と、言う。半分を、私の土産に持たせてくれた。干し柿の横には、剥いた皮も乾かしてある。また薄く切って、柿チップも作っている。彼女は食べ物を無駄にしない昭和人。

(中略)その日の夕食後、私は干し柿をご馳走になった。素朴で飾らない彼女の人柄のような旨味(うまみ)が、口いっぱいに広がった〉。純朴なお友だちのお人柄と良いご関係が、伝わってきます。私も「柿の皮は乾かせばそのままポリポリと食べられるし、砂糖の代わりに煮物や漬物に入れてもいい」とは聞いていましたが、本当に皮まで干しておられたとは……。

他にも、虫の声に宇宙が鳴らす鈴の音を感じる「宇宙の声」(18ページ)、ザクロをもいで食べる10匹ほどの猿の集団を活写した「宴」(20ページ)、好きな女性ができてアトピーが治った元上司を描いた「恋のパンチ」(112ページ)など、ユーモアやウイットの利いた名篇の数々は、ぜひ急がず味わいながら、じっくりとお読みください。2024(令和6)年10月吉日


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田中利典師の「メール当世事情」に、激しく同感!

2024年11月27日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、「メール当世事情…愚痴かもしれませんが」(師のブログ 2017.2.23 付)。師は〈メールを書いても、なかなか返事をよこさない人がいる〉〈せめて2,3日内には、返事は欲しいという程度の、ささやかな常識の範囲での話なのである〉〈私は電話嫌いである(中略)電話ではなく、メールでことを済ませたいタイプなのである〉とお書きだ。
※トップ写真は、「無料の写真素材・AI画像素材 ぱくたそ」のサイトから拝借した

私も、メールを送ってもなかなか返事をよこさない人には手を焼いている。また「これで良いか、ご確認ください」というメールの返事に「ありがとうございました」とだけ書いてくる人がいるのにも、困っている。

メールアドレスをお持ちなのに、やたら電話してくる人にも、辟易(へきえき)している。これは高齢者に多いが、耳が遠いのに電話してくる人もいる(壊れたラジオのようだ)。電話は(やっている仕事を中断して)リアルタイムに応答しないといけないし、証拠が残らない。いちいちメモを取らないといけないので、とても不便なツールなのである。

私はソムリエの会の事務方なので、毎日10人ほどの方から電話やメールをいただく。これを電話でさばいていては、間違いが起きそうで怖い。なお特定のプロバイダのメールを受け付けない人もいらっしゃるので、私は2つのメルアドを取得し、迷惑がかからないように配慮している。ぜひ利典師と私には、電話でなくてメール、お返事も速やかにお願いしたい。なお奈良まほろばソムリエの会のメールアドレスは「info@stomo.jp」。では、記事全文を以下に紹介する。

「メール当世事情…愚痴かもしれませんが」
私はウインドウズ以前、まだMS-DOSの時代(たぶん昭和63年頃)からパソコンに触れているので、パソコン暦は相当長い。機械いじりは大嫌いなので、ハード面はからきしであるが、ソフト面というか、まあ使うということについては、その間いろんなことを経験してきたので、なんとか最近まではリアルタイムにパソコン関連の事象にはついてきた。

パソコン通信からはじまったネットの幕開け期も過ぎ超してきたし、SNSの時代もなんとか応対して、電子メール、ミクシイ、ブログ、ツイッター、フェイスブック、そしてラインと今も使いこなしている…、つもりである。そんな中で思うことがあるので、つれづれに書きたいと思うのが、メールに関してである。

メールはもう当たり前のツールで、電話以上に情報交換や経済・商業取引、そして人とのつきあいでは重きをなしているのだが、そんな中で、業者や講演依頼の時や部下やお弟子さん達の内で、メールを書いても、なかなか返事をよこさない人がいる。

まあ、誤解を生むかもしれないのであえて書くが、この書き込みを読む人の中では、「え、私のことを言ってるの!」ってどきっとする人がいるかもしれない。しかし、これを読んでいる人たちは全く想定していない。実は、ほとんどはこういうものも読まないし、もしくは私とFB上で直接の「お友達」にはなっていない人を、想定して書いているので、ご安心を!!!。…というよりこれを読んで気を悪くしたり、嫌いにならないでね。

もちろん私も4,5日の出張などが重なるとパソコン環境がわるくて、しばらく返事が遅れることがあるし、返事をするには逡巡するような場合、返事が遅れることはままある。だからその辺は重々承知をして上でのことなのだが、全く返事をよこさなかったり、催促しないとこなかったり、忘れた頃にしか返事がなかったりする輩がいて、正直、むっとするわけなのである。

JK(女子高生)の人たちが、ラインの返事をすぐしないと人間関係が悪くなるという恐怖観念が働くというような話を聞いたことがあるが、そういうレスポンスを強要するような話ではなく、せめて2,3日内には、返事は欲しいという程度の、ささやかな常識の範囲での話なのである。

「このかたは大先生なのだから、仕方がない」と思うような人は、実はだいたい丁寧に応対していただいてきた。たとえていえば松長有慶前金剛峯寺座主猊下などは88歳という高齢の大僧正であるにもかかわらず、ちゃんと返事を返していただいている。どういうことかというと、物品の注文や、依頼された講演の資料を送っても受け取った確認の返事がなかったり、自坊の法要出欠の案内をしても催促しないと返事がなかったりする、というようなことである。

私は電話嫌いである。ときどーき、酔っ払って電話魔になることは年に1,2度あることもあるが、ふだん電話は急ぎの用とか、相手のアドレスをしらなかったりした場合以外は、おおかた、電話ではなく、メールでことを済ませたいタイプなのである。家族とのやりとりさえ、メールの方が多いくらいである。

そういう私のようなタイプとは真逆で、メール嫌いで、なんでも電話で済ませたいという人がいるというのも、よーく理解をしている。でも、貰ったメールの返事くらいはちゃちゃっとして貰いたいものである。以上。愚痴に聞こえるかも知れないけれど、メールが必然となったこの世の中での、ささやかな提言である(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

崇神天皇の宮跡伝承地、志貴御県坐(しきのみあがたにます)神社(桜井市金屋)

2024年11月26日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週水曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2024.11.20)掲載されたのは〈古代ヤマト王権発展の地/志貴御県坐神社(桜井市)〉執筆されたのは、田原本町にお住まいで、桜井市で勤務されている岡本喜一さんだった。
※トップ写真は、志貴御県坐神社の本殿=桜井市金屋で

御県坐神社とは聞き慣れない言葉だが、天皇の食事に出す野菜を栽培する朝廷の直轄地のことである。県内には7つほどの神社があり、以前、これらを1日で参拝するツアーを企画したこともある。では、全文を以下に紹介する。

古代ヤマト王権発展の地/志貴御県坐神社(桜井市)
三輪山の南西の麓(ふもと)に鎮座しており、すぐ近くを山の辺の道が通っています。御県(みあがた)とは天皇の食事に添える蔬菜(そさい=野菜)を栽培する朝廷の直轄地を示しており、大和にあった六つの御県の一つ、志貴の地に建てられた式内大社です。創建は明らかではありませんが、730(天平2)年の大和国正税帳(しょうぜいちょう)にその名が見られます。

主祭神は大己貴神(おおなむちのかみ)。本殿は流造檜皮葺(ながれづくりひえだぶき)、前に千鳥破風がつきます。拝殿は切妻造桟瓦葺(さんかわらぶき)。境内社は二社あり、琴平神社・嚴島神社。拝殿東側には四つの磐座(いわくら)が等間隔で並んでおり、この場所が古くから信仰の場所であったことがうかがえます。

鳥居の前に立つと南には音羽山、鳥見山、御破裂山(ごはれつざん)などの展望が広がります。桜井市金屋は、「八十(やそ)のちまた」といわれ古代における交通の要衝でした。万葉集にも歌われた海柘榴市(つばいち)が立った場所です。

東は伊勢街道を通じて初瀬(はせ)・宇陀・東国へ、南は磐余道(いわれみち)や多武峰(とうのみね)街道を通じて飛鳥・吉野・紀伊へ、北は山の辺の道を通じて奈良・山城・近江へ、西は横大路や大和川の水運により難波・瀬戸内海へとつながっていました。

神社は第十代崇神天皇の磯城瑞籬宮跡(しきみずがきのみやあと)の伝承地といわれ、石碑が建っています。まさに古代ヤマト王権が発展していく拠点となった地です。(奈良まほろばソムリエの会会員 岡本喜一)

(住 所)桜井市金屋896
(祭 神)大己貴神
(交 通)JR桜井線三輪駅から徒歩約15分
(拝 観)境内自由
(駐車場)なし
(電 話)三輪惠比須神社(0744-42-6432)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする