澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

フィルム・シンフォニック・オーケストラ

2008年06月12日 22時01分39秒 | 音楽・映画
ルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演のフランス映画「太陽がいっぱい」は、今なお人々の記憶に残っているようだ。

ニーノ・ロータが作曲した主題曲も心に残るメロディだが、演奏するのはフィルム・シンフォニック・オーケストラという仰々しい名前の楽団だ。
この楽団はレコーディング用のオーケストラで、実は日本の楽団だった。当時、ヨーロッパ映画が流行っていたが、そのサウンドラックは必ずし良好な音質で入手できるとは限らなかった。そこで、日本ポリドール社は、フィルム・シンフォニック・オーケストラというオケをでっちあげ、片っ端から映画音楽を録音したというわけだ。

このオケの演奏は、当時の水準で見ても上手というわけではなかったが、なにしろタイムリーに映画音楽のアルバムを売り出していくので、それなりの需要はあったようだ。
現在、CDで聴くことができるのは「太陽がいっぱい」だけだと思われる。シンフォニックと名乗りながら、全く厚みのない弦楽器、ヒステリックなノイズ、品位を欠くトランペット、こんなものをよく聴いたものだとおもうのだが、どこか懐かしさも感じる、不思議な楽団だ。

ロンドン・フェスティバル管弦楽団

2008年06月12日 03時13分25秒 | 音楽・映画
デッカ・レコードの全盛期に、「フィルム・スペキュタクラー」などという、派手な録音を売り物にしたアルバムが、数多くリリースされた。

これらを演奏していた楽団が「ロンドン・フェスティバル管弦楽団」である。スタンリー・ブラックの指揮によるアルバムが特に有名だった。

この楽団は、実在のオーケストラではなく、レコーディングのために臨時編成された楽団である。「フェスティバル」とは文字どおり「祭り」であり、その時限りという意味を持つ。クラシックのアルバムでも、「バイロイト祝祭管弦楽団」などという名前が出てくるが、これも臨時編成で、「祝祭」とはFestivalの直訳でもある。

ロンドンには有名な交響楽団がいくつもあり、そのほとんどが財政難であることはよく知られている。日本の人気歌手の伴奏を引き受けたりするのも、ロンドンのオケであることが多いが、アルバイトが必要な状況なのだろう。

ロンドンのクラシック奏者を集め、楽譜を渡し、音あわせをして録音、はいご苦労様…これが「ロンドン・フェスティバル管弦楽団」の実態なのだろうが、その演奏はなかなかのものだ。
クラシックとポピュラーの境界線上にある音楽を、巧みな編曲に基づいて演奏し、多くのファンを楽しませた功績は大きいと思う。


パーシー・フェイスの古賀・服部メロディ

2008年06月12日 02時42分04秒 | 音楽・映画
パーシー・フェイス(Percy Faith)は、ユダヤ系カナダ人で、米国CBSの音楽番組やレコードで有名だった。
最大のヒット曲は「夏の日の恋」。今でもどこかで流れてくるので、広く知られているはずだ。

パーシー・フェイスは、今年、生誕百年を迎えた。英国BBCラジオでは、すでに特集番組が放送された。また現在、パーシー・フェイス・オーケストラ(The Percy Faith Orchestra)が来日中で、日本各地でコンサートを開いている。

もちろん、パーシー・フェイスはとうに亡くなっているので、名前ばかりの楽団だが、これが結構良い演奏をするのだ。

パーシー・フェイスは、古賀政男と服部良一のメロディを2つのアルバム(LP)に録音している。最近、その2on1CDが米国のレコード会社からリリースされた。
日本でしか発売されたことのないアルバムが、CD時代になって米国でリリースされたのだから、驚くと同時に、廃盤になったら2度と日の目を見ないのではないかというおそれがある。

パーシー・フェイスは、この日本のメロディを、奇妙な東洋風(中国風)の味付けではなく、きちんと原曲の持ち味を活かして編曲している。このあたりは大したものだと思う。

フランク・チャックスフィールドの引き潮

2008年06月12日 01時08分13秒 | 音楽・映画
フランク・チャックスフィールドは、英国のバンド・リーダー。1950~80年代にかけて幅広く活躍した。「引き潮」「ライムライト」が特に有名。

米国の音楽制作会社「ミューザック」に多くの音源を提供していた、フランク・チャックスフィールドは、耳障りにならない音楽づくりをモットーにしていた。
そのためかどうか、彼のディスコグラフィは誰も作成しておらず、彼の全体像は未だにつかめていない。

率直に言うと、彼の音楽は「玉石混淆」なのだ。いつまでも心に残る名演奏があると思えば、気の抜けたビールのような演奏も多い。

それは、「環境音楽」とも呼べるバックグラウンド・ミュージックを希求した彼の音楽の特徴故なのかも知れない。

ウェルナー・ミューラーの音楽性

2008年06月12日 00時51分34秒 | 音楽・映画
ウェルナー・ミューラー(Werner Muller)は、1950~70年代にかけて活躍したドイツのバンド・リーダー。リカルド・サントスの別名でも親しまれた。

第2次大戦でドイツは敗北し、東西に分割された。首都ベルリンは、さらにソ連占領地区と米軍占領地区に分割された。米軍占領地区のラジオ放送局RIASからは、連日、ジャズやダンス音楽が流されたが、その担当がウェルナー・ミューラーだった。

日本では、1950年代末にヒットした「真珠採りのタンゴ」(リカルド・サントスの別名で演奏)がよく知られていて、タンゴの楽団であるかのようなイメージもあるが、実はそうではない。れっきとした、ジャズ・ミュージシャンといっていい。

1960年代には、テルデックに移籍して、数々のマニアックなアルバムをリリースした。
「Wild Strings」というアルバムでは、弦楽器をアクロバットのように使い、ファンを驚かせた。クラシックの楽団でも、こんなスリリングなストリングスの響きは聴けないと思うほどだった。

アレンジ、ミュージシャンの力量ともに、超一流。「軽音楽」などと侮れない、密度の高い音楽を聴かせてくれた。