エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

一房の葡萄

2006-09-13 | 日々の生活
《一房の葡萄》
 
 本場、山梨の親類から、秋の味覚「巨峰」が届いた。早速、孫たちといただいた。
あまりに立派なので、まずは鑑賞した。それはそれは見事なブドウ、お腹の中に入る前にと、早速写真を撮る。重さを量ったら一房が600gあった。妻は絵手紙に描くという。
一粒一粒はち切れるような大きな粒が、黒紫色に輝いていた。(心にはそう見えた)
 大きい房が垂れ下がる、山梨のブドウ棚が目に浮かんできた。そして、忘れていた物語「一房の葡萄」を思った。どんな話だったろうか、はっきり思い出せない。確か、教科書にも載っていた記憶があったが、と思いながら、有島武郎の薄っぺらい岩波文庫「一房の葡萄」を本棚に探した。
 一気に読んだ。「僕は小さい時に絵を描くことが好きでした。・・・」で始まる名作だ。
 友達の絵の具を盗んだ罪悪感と、好きな先生により助けられたこころの動き、そして葡萄の思い出だ。そこには、こんな表現でブドウが美しく描かれていた。

・・・・・ そういって、先生は真白なリンネルの着物につつまれた体を窓からのび出させて、葡萄の一房をもぎ取って、真白い左の手の上に粉のふいた紫色の房を乗せて、細長い銀色の鋏で真中からぷつりと二つに切って、ジムと僕とに下さいました。真白い手の平に紫色の葡萄の粒が重って乗っていたその美しさを僕は今でもはっきりと思い出すことが出来ます。・・・・ 
最後の文は、「秋になるといつでも葡萄の房は紫色に色づいて美しく粉をふきますけれども、それを受けた大理石のような白い美しい手はどこにも見つかりません。

すっかり忘れていた物語を静かに読み終え、改めて名作だと思った。
 ここでのブドウは、時代からして巨峰ではなかっただろうが、巨峰を思い浮かべながらとても美しい話だと思った。
大きな葡萄の1粒を手のひらに載せての心を思いながら美味しくいただいた。

これから、梨、リンゴ、栗 と、秋の味覚が次々と出番を待っている。