久々に憧れの歌人啄木の人生を見つめた。
昨夜のNHKTV「そして、歌が溢れた~松本幸四郎×石川啄木~」を視聴した。
(見過ごしていた5月6日(月)NHKBSプレミアムの再放送)
---番組解説から---
啄木の波乱の半生を、幸四郎さんは50年前に舞台『悲しき玩具』で演じた。破滅的な啄木の生き様と格闘した当時から今に至るまで、幸四郎さんにはずっと抱えていた疑問がある。なぜ、絶望的な生活の中で、啄木は瑞々しい短歌を紡ぎ出せたのか。その答えを見つけるため、幸四郎さんは啄木と向き合う旅に出る。
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はからずも啄木のわずか27年の人生を振り返りつつ、青春のこころに戻り忘れていた感動に浸った。
書棚の蔵書 「新潮日本文学アルバム 石川啄木」よりまとめてみた。
○ 渋民尋常小学校の階段、教室、黒板が目に浮かぶ。
”そのかみの神童の名よかなしさよふるさとに来て泣くはそのこと”
北上の岸辺に建つ文学碑
”やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに”
○ 盛岡へ堀合節子との初恋、退学、上京 【明治35年 17歳】
” 師も友も知らで責めにき謎に似るわが学業のおこたりの因 ”
○ 「明星」(啄木に影響を与えた与謝野鉄幹が主宰)に掲載された一首。
” 血に染めし歌をわが世のなごりにてさすらいここに野にさけぶ秋 ”
○ 渋民へ帰郷 【明治36年 18歳】
結婚 代用教員 【明治38年 20歳】
詩集「あこがれ」刊行
○ 北海道へ渡る 【明治40年 22歳】
”船に酔ひてやさしくなれるいもうとの眼見ゆ津軽の海を思へば”
函館:函館日々新聞 遊軍記者
” 潮かをる北の浜辺の砂山のかの浜薔薇よ今年も咲けるや ”
” 函館の青柳町こそかなしけれ友の恋歌矢ぐるまの花 ”
札幌:北門新報社校正係
” アカシヤの街?(なみき)にポプラに秋の風吹くがかなしと日記に残れり ”
小樽:小樽日報社
小樽へ旅行したとき、高台の小樽公園に啄木の歌碑を訪ねたことがあった。
” かなしきは小樽の町よ歌ふことなき人々の声の荒さよ ”
*事務長小林寅吉と喧嘩し退社
小林は会津高田出身 法用寺に歌碑 (参)拙ブログ「雪の中の 啄木歌碑」(2008-02-12 )
http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/21638bf167d5a30168f39fdea59c15ca
釧路 :釧路新聞
” さいはての駅に下り立ち雪あかりさびしき町にあゆみ入りにき ”
” しらしらと氷かがやき 千鳥なく 釧路の海の冬の月かな ”
” 子を負いて雪の吹き入る停車場にわれ見送りし妻の眉かな ”
○ 上京 朝日新聞校正係【明治41~明治43 24 25歳】
明43年 詩集「一握の砂」刊行
明治44年 慢性腹膜炎で入院
” 水嚢の下より眼を光らせて寝むられぬ夜は人をにくめり ”
明治45年 4/13永眠 27歳 病名:肺結核
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啄木のはかない生涯を見つめた。
かつてゆかりの地を訪ねた。
盛岡、不来方の城跡へは3度、渋民へも、学生時代とその後1度訪ねた。
” 不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心 ”
” 己が名を ほのかに呼びて涙せし 十四の春に かへる術なし ”
〈十四の春〉は教室で生徒に何度となく語ったこころだ。
不思議な夜を迎える あふれ出た歌はこころの奥底からほとばしり出る。
天才である。彼は平易な言葉で感動の歌を苦もなく歌う。
切ない歌人・啄木の胸中が甦った。