エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

晩秋の鶴ヶ城

2011-11-03 | 街中散歩

 イチョウが鮮やかに黄に輝き、サクラも大分葉を落とした。
 病院への帰りに、暮れなずむお城を巡った。

 若商前から

 日中、久しぶりに風のない小春日和に恵まれたが、気温はそうは上がらなかったようだ。

 昼過ぎから雲が出てきて、傾き始めた太陽がぼんやり天守閣を照らしていた。

 

 

]

 

 
 
 いい光景に出会った。本丸に入ると静寂に、きれいな歌声が聞こえてきた。
 「静かな静かな 里の秋~」 「兎追い しかの山~」

 二十人ほどの団体が、荒城の月の歌碑のを囲んで、ギター、バイオリン、アコーディオンの演奏を前に歌っていた。皆お年を召した方々おようだった。

 

コーラスを聴きながら、堤に登り、茶壺櫓から遠く磐梯山を望んだ。色づいた木々の間に天守閣を撮った。

 

 

 月見櫓

 多分、「荒城の月」も歌ったのだろう。どれも秋のお城での心に響く歌声だった。
 やがて解散して堤に上がってきた一団に聞いたら、福島からの日帰りの旅という。
手にしたパンフレットを見せていただいた。
「修学旅行  歌のふるさとめぐりと会津に歴史・自然探訪の旅」とあった。

なかなかの企画だと感心した。自分もこんな旅に参加して、コーラスを楽しむ、そんなゆったりした豊かな旅をしてみたいと思った。

  明治31年に28歳の土井晩翠は東京音楽学校の求めに応じて「荒城の月」を作曲した。

その際、第二高等学校在学中に訪ねた会津若松城址を詩材とし、仙台青葉城でも稿を練ったという。その思いが石碑の裏面に刻されていた。
  「荒城の月碑」は、鶴ヶ城、青葉城の他、作曲者滝廉太郎の故郷大分県竹田城址の三ヶ所にあると言う。

秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁の数見せて
植うる剣に照りそいし
昔の光いまいずこ
  
  誰もいなくなった歌碑の前で、荒城の月を口ずさんだ。
  急に切なくなって目が潤んだ。

陸上競技場の門を入ると、すっかり日の落ちたグランドに部活の高校生が走っていた。
遠くに麗しの磐梯が凛々しく聳えていた。

少し沈んだ気持ちが晴れ、明日への勇気を貰ったような気がした。   (2011.11.2)

 

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4 コメント

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会津の紅葉 (マーヤンです。)
2011-11-05 07:34:18
久しぶりに懐かしく会津マッチャンのブログを訪問しました。相変わらず丁寧に心をこめて書いていなさることに感心させられます。紅葉そして晩秋の鶴ヶ城を堪能させていただきました。随分意欲的に行動されていて、体調の順調さを感じ喜んでおります。私は目下、杖をつきながら家の周りの(250m)位を10週廻ることを目標にしております。これから寒くなりますので、今までのようになるには時間がかかることと思いますが慌てずゆっくり行きたいと思っております。またチョクチョク訪問させていただきます。
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よかったですね。 (会津マッチャン)
2011-11-06 07:04:35
おはようございます。
久々にコメント頂き嬉しいです。
毎日2㎞もリハビリ、すぐに杖もなくなりますよ。でも、焦らないでください。
寒くなりますから,お互いに気をつけて行きましょう。
こちら、体調がよく、晩酌も過ぎがちで反省の毎日です。
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月山山麓から (黙想)
2011-11-06 22:24:26
 修学旅行 粋な企画ですね。岡を加えるだけの親近感あるお城 時間切れで、夕方の大手門と石垣だけしか見る事が出来なかった事を思い出します。 今尚 俺は会津の人間だ!今は酒田に住む人の案内でした。 ふと修学旅行のパンフレットの蔭には 長崎の鐘が。父の45年あまりは長いご縁で 今も原爆後遺症で苦しむ方々 悲しい知らせも届きます。 この歌は私にも こみあげて最後まで歌えない。 50年前は 三度許すまじ原爆を…  今は何度になるのか 憤りばかりですね。    
今月はヒマラヤシーダーの球果時期でしたか?気温高めでも再来年の準備は確実でしょうね。雄蕊が膨らみかけました。    

 
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長崎の鐘・・・黙想さん (会津マッチャン)
2011-11-07 21:30:01
お晩です。
本当ですね。歌詞集のプリントに長崎の鐘が・・・。
こみ上げる切なさ、名曲です。古関裕而は福島市の出身、記念館が福島にあります。
酒田の会津の人、懐かしい思い出ですね。

ヒマラヤシーダ、多分秋、受粉した球果が来春から膨らむのでしょう。いつか見えにくい受粉前の雌花をみたいと思います。
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