早朝に犬と散歩している。いつも妙国寺を過ぎるとき、戦争の悲惨さを思い巡らさずにいられない。境内の一隅、道沿いに建つ一つの墓石に刻まれている文字が目に入る。
そこには
「大東亜戦争ニ勇戦奮闘セシモ遂ニ
昭和十九年八月三十日南支那方面ニ
戦死ス 行年三十三歳」
とある。
どれだけ大切な人であったか。家族の悲しみを思うと目頭が熱くなる。
あれはいつのことであったか。長野県上田市郊外の無言館*を訪ねた。長い時間をかけて戦没学生たちの絵を見て歩き、彼らの思いを手帳に綴った。やらなければならないことがたくさんあったのに、戦争で命を絶たれた若者の無念さを思うとき、いい知れない切なさが込みあげてきた。
八月には忘れていた戦争の悲劇をあらためて思うが、私は散歩の度に、常に忘れてはいけない平和の尊さを確認させられている。
*(参)拙ブログ 2/9「無言館の戦没画学生を思う」
そこには
「大東亜戦争ニ勇戦奮闘セシモ遂ニ
昭和十九年八月三十日南支那方面ニ
戦死ス 行年三十三歳」
とある。
どれだけ大切な人であったか。家族の悲しみを思うと目頭が熱くなる。
あれはいつのことであったか。長野県上田市郊外の無言館*を訪ねた。長い時間をかけて戦没学生たちの絵を見て歩き、彼らの思いを手帳に綴った。やらなければならないことがたくさんあったのに、戦争で命を絶たれた若者の無念さを思うとき、いい知れない切なさが込みあげてきた。
八月には忘れていた戦争の悲劇をあらためて思うが、私は散歩の度に、常に忘れてはいけない平和の尊さを確認させられている。
*(参)拙ブログ 2/9「無言館の戦没画学生を思う」
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