
【「野口英世青春通り」界隈 田中稲荷神社の出店】
きのうは十日市だった。昼前に、家族で出かけた。
今年は成人式の日と重なり、もうかなり人出だった。娘の嫁ぎ先に年始のご挨拶をした。
十日市で娘夫婦も来ていた。車をおいて貰い、賑わう街へ繰り出した。
毎年、十日市の日は荒れると言われている。でも、さすがに吹く風は驚くほど寒かったが、青空の晴天になった。
十日市の起源は、葦名直盛が黒川城を築いた時から始められた(至徳元年1384年)といわれる。
色鮮やかな風車、起き上がり小法師といった縁起物や、漆器、陶器などの地場産品、そのほか、実にさまざまな露天が並んだ。
400以上の露店が軒を連ねたらしいが、以前に比べて、低迷する業界のせいか漆器の出店が少なく、食べ物の露天が多かったようだ。
大町通りから神明通りに出る。神明神社にお参りして、孫はオサダの福袋を買った。
そして、いつものように「起上がり小法師」と「風車」それに「市飴」を求めた。

【住吉神社の出店】

【会津天神も飾ってある】

【絵になる漆器屋、鈴木屋利兵衛】
「風車」は、八本の薄い竹を編み、貼った鮮やかな赤、青、黒など色紙の上に、金粉で「寿福の神」の4文字が書かれている。
また、風車の羽を黒豆で止めてある。「"まめ"で一年中元気に過ごせるように」との願いが込められた縁起物だ。
「起き上がり小法師」は、転んでもすぐに立ち上がるから、粘り強さと健康のシンボルとして縁起が良く、
家族の人数より1個多く買う習わし。今年は別に、少し大きめの青、赤、黄色の小坊師を求めた。
それぞれ、水の神、火の神、お金の神だという。
1年間、神棚に飾っておく。


小坊師は約400年前、蒲生氏郷公が下級藩士の内職として作らせたのが始まりと言われている。
「市飴」は、昔は大変貴重な物だったろう。滋養に富んだ飴をなめて無病息災と家内安全を願ったのだろう。
時代の流れで、初市の様子も変わるが、凍える手で人混みを歩いた初市の思い出は、孫たちの脳裏に焼き付くことだろう。
途中、思い立って一人横道に逸れ、雑踏の傍らの蒲生氏郷公の墓所へ立ち寄った。
何年ぶりだったろうか、誰もいないお墓は、ビルの谷間で雪に埋もれていた。
膝までの雪を長靴でかき分け、案内板のところまで踏み入りお参りした。
ここ興徳寺の五輪塔には蒲生氏郷の遺髪が納められ、辞世の歌碑も建っている。
【http://inoues.net/club/aidu_ujisato.html】

深閑とした空間で、蒲生氏郷を偲び、永々と続いてきたであろう雪の会津の初市を思った。

きのうは十日市だった。昼前に、家族で出かけた。
今年は成人式の日と重なり、もうかなり人出だった。娘の嫁ぎ先に年始のご挨拶をした。
十日市で娘夫婦も来ていた。車をおいて貰い、賑わう街へ繰り出した。
毎年、十日市の日は荒れると言われている。でも、さすがに吹く風は驚くほど寒かったが、青空の晴天になった。
十日市の起源は、葦名直盛が黒川城を築いた時から始められた(至徳元年1384年)といわれる。
色鮮やかな風車、起き上がり小法師といった縁起物や、漆器、陶器などの地場産品、そのほか、実にさまざまな露天が並んだ。
400以上の露店が軒を連ねたらしいが、以前に比べて、低迷する業界のせいか漆器の出店が少なく、食べ物の露天が多かったようだ。
大町通りから神明通りに出る。神明神社にお参りして、孫はオサダの福袋を買った。
そして、いつものように「起上がり小法師」と「風車」それに「市飴」を求めた。

【住吉神社の出店】

【会津天神も飾ってある】

【絵になる漆器屋、鈴木屋利兵衛】
「風車」は、八本の薄い竹を編み、貼った鮮やかな赤、青、黒など色紙の上に、金粉で「寿福の神」の4文字が書かれている。
また、風車の羽を黒豆で止めてある。「"まめ"で一年中元気に過ごせるように」との願いが込められた縁起物だ。
「起き上がり小法師」は、転んでもすぐに立ち上がるから、粘り強さと健康のシンボルとして縁起が良く、
家族の人数より1個多く買う習わし。今年は別に、少し大きめの青、赤、黄色の小坊師を求めた。
それぞれ、水の神、火の神、お金の神だという。
1年間、神棚に飾っておく。


小坊師は約400年前、蒲生氏郷公が下級藩士の内職として作らせたのが始まりと言われている。
「市飴」は、昔は大変貴重な物だったろう。滋養に富んだ飴をなめて無病息災と家内安全を願ったのだろう。
時代の流れで、初市の様子も変わるが、凍える手で人混みを歩いた初市の思い出は、孫たちの脳裏に焼き付くことだろう。
途中、思い立って一人横道に逸れ、雑踏の傍らの蒲生氏郷公の墓所へ立ち寄った。
何年ぶりだったろうか、誰もいないお墓は、ビルの谷間で雪に埋もれていた。
膝までの雪を長靴でかき分け、案内板のところまで踏み入りお参りした。
ここ興徳寺の五輪塔には蒲生氏郷の遺髪が納められ、辞世の歌碑も建っている。
【http://inoues.net/club/aidu_ujisato.html】

深閑とした空間で、蒲生氏郷を偲び、永々と続いてきたであろう雪の会津の初市を思った。

またずっしりとした重みがありますね。
市の立つ日に、寒そうですが日差しが戻って嬉しいことです。
運ぶ足どりも軽いですものね。
趣きのある漆器店の構えです。根付いた産業などもあるのですよね。
政宗と氏郷、 会津黒川城
「会津黒川の城下を反映させてみよう…」それには、「商人だ…」
1月11日会津黒川の町に凱旋… 沸き返るような、熱狂的な歓喜の声が充満した。
「会津マッチャンさん」とのご縁をいただき、なにやらいっそう親しみを感じて童門氏の『蒲生氏郷』
取り出して拾い読みしてみました。
氏郷、鈴木利兵衛、西野仁右衛門、会津若松の城下 つながります~
年末には「さざえ堂」が新聞で紹介されました。西洋の学問が伝わり、ひねり出された建物だと。
いつか、いにしえの熊野を偲ぶ旅をしてみたいと思います。
現在の会津若松の基礎は文武両道に優れた人材・蒲生氏郷によって築かれました。
どうしても幕末・戊辰の会津に目が向いてしまいますが、古代からの会津の歴史を見つめ直したいと思っています。
会津は今日も雪降りです。小正月には歳の神があります。
今が一番寒い季節、もうしばらく我慢の冬ごもりです。
ありがとうございます。
しばしの断酒、偉いですね。
体調も戻り、適量の百薬の長はおいしいです。
過ぎたるは・・・で楽しみたいところです。