エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

蕎麦の花咲く

2006-09-10 | 日々の生活
       《ソバに吸蜜するメスグロヒョウモン》

会津にも蕎麦の花が咲き始めた。蕎麦の花を眺めにドライブに出た。
稲穂も徐々に黄色に色付き始め、水田の隣に、まるで白い絨毯を敷き詰めたように蕎麦の花がきれいだった。蕎麦畑の向こうに磐梯山がよく似合い聳えていた。
蕎麦ブームで、磐梯・猪苗代でもソバの作付け面積を広げ、聞くところによると、そばの産出量は本州一とのことだ。猪苗代町は「蕎麦の里」を目指す高原そばの名産地となり、満開のそば畑は一つの初秋の風物詩となっている。
綺麗な蕎麦の花には、夏を生き、翅を傷めたチョウが静かに羽を休めていた。秋を迎える高原に、キタテハやメスグロヒョウモン、ベニシジミ、イチモンジセセリなどが蜜を吸っていた。この時期、モンキチョウはメス多くなったようだ。
蕎麦の花は、種まきからわずか1月で咲き、収穫まではたった75日程度と聞いた。この花が三角形の黒い実を付け、やがて美味しい“新そば”になる。10月になると、会津の各地で新ソバ祭りが毎週のように開かれる。今から楽しみだ。

《磐梯山とソバの花》


《ソバに級蜜するベニシジミ》


《ソバに級蜜するイチモンジセセリ》

「咲きはじめた はるかなる藍」 

2006-09-09 | エッセイ
      

 心待ちにしていたアイが今年も咲き始めた。もう20年にもなるか、川俣の染織家山根正平先生からいただいたアイが、いつしか庭一面に広がった。
 花穂は控えめに背伸びして紅に染まっている。隣に生えている仲間のイヌタデより、葉は丸みを帯び、りんとした清楚なたたずまいがとても爽やかに感じられた。
 傷んだ葉が、当然ながら藍色に枯れている。古人はこの興味深い事実から、試行錯誤を繰り返し藍染めを確立したのだろう。やがて化学技術がその色の素を突き止め、石油から色素インジゴを合成した。伝統文化と科学技術の一つの関わりを思った。
 時折風にそよぐ可憐な小花を眺め、達治の詩を思い浮かべた。
 「かえる日もなきいにしへを そはつゆ草の花のいろ はるかなるものみな青し 海の青はた空の青
 そしてアイの葉の奥に、海や空と違った、はるかな歴史やこころを秘めた青色を思いながら、「はるかなるものみな青し」と呟いた。


3時に咲くサンジソウ

2006-09-08 | 自然観察
           《ハゼラン 花が小さく撮しにくい》
 
 何年か前に親類から、午後3時ころに咲くサンジソウの苗をもらった。いつか絶ええてしまったが、この夏、カランコエの鉢にいつの間にか発芽したサンジソウを見つけた。あれよあれよという間に大きく育って、今は鉢を占領し、かわいらしい小さな花が☆のように咲いている。本当に開花は夕方3時過ぎだ。3時過ぎになると、時間を知っているようによれた小さなつぼみを開く。
 ネットでサンジソウを検索してみると、2種類あった。
 一つはハゼランと言い、別名はいろいろあり(コーラル・フラワー、サンジカ-三時花、サンジソウ-三時草、江戸の花火、花の雫、午後3時の天使、ヨヨノホシ、3時のあなた、おしんそう)などと呼ばれると書いてあった。スベリヒユ科で原産は熱帯アメリカの帰化植物である。茎は水分を多く含んで、折れやすく、ツルムラサキの茎を連想した。
 また、もう一つのサンジソウは南アフリカ共和国原産の多肉植物のテルナミ(照波)とあった。これは、ちょうど我が家にもあってすぐ分かった。暑い夏に、元気で黄色いタンポポのような花を次々に咲かせていた。
 ところで、これらはなぜ3時ころに咲くのだろうか。考えてみれば、植物によっては花の咲く時間も違う。オシロイバナも夕方咲いているし、マツヨイグサ、ツキミソウ、夕顔なども夕方だ。どうも、植物には、体内時計ともいえるものがあって、植物の開花は、昼間ではなく、夜の長さに反応するらしい。
 ハゼランはどこにでも生える雑草とあるが、花も実もかわいいから、今年は種を大事に保存して、来年はあちこちに咲かせてみたいと思っている。

ジャコウアゲハの疑問

2006-09-07 | 昆虫
 ジャコウアゲハは小学生の頃の思い出のチョウの一つだ。
 体型は、後ろばねの尾状突起が長くオナガアゲハに似るが、オスは黒、雌は薄い肌色で胴体に赤い紋がある。幼虫は突起が金平糖のように突きていて、小さい頃「お菊虫」呼んだ記憶があったが、ネットで調べたら、蛹が後ろ手に縛られて壁に縛られた番町皿屋敷のお菊を思わせるかららしい。そのころ、肉状突起という専門用語も覚えた。また、ネットによると、命名の由来については、オスが強い麝香のような芳香を出すかららしいが、幼虫ならまだしも、そんな記憶はなかった。本当かどうか、今度確かめてみたい。
 また、あの沢山の草の生い茂る中で食草のウマノスズクサをどうして識別できるのかも、小さい頃から不思議だった。他の蝶もそうだが、産卵行動を観察していると、何か足で葉を触っているように思える。タテハチョウの仲間は、一見、足が2対しかないように見えるが、小さい前足は感覚器官になっているらしい。クロアゲハが足でサンショウを確かめているように、ジャコウアゲハも足で臭いをかいでいるのだろうか。 
 ネットでは、食草のウマノスズクサがアルカロイド系の毒を含んでいることを知った。ジャコウアゲハがこの毒の耐性を身につけ、体内に蓄積した毒で身を守っているという。それ故、鳥が好まないらしく,オナガアゲハやアゲハモドキは擬態しているという。そう言われると、ジャコウアゲハの胴体のベニの色は、やはり何となく毒々しく感じられる。
 いろいろ小さい頃から抱いていた疑問が、今、ネット検索でほとんど解かれるようになった。すごい時代になったものだ。

《ジャコウアゲハの卵》


《ジャコウアゲハの食草 ウマノスズクサ》


吉田東悟に教えられた努力

2006-09-05 | 文芸
        《東悟が愛用していた犬の文鎮》

 何度目の入館だろうか。数年ぶりにまた、阿賀野市保田に吉田東悟を訪ねた。(9/3)
元気が出ないときには、ふと東悟の生き様を見つめたくなる。この記念館がいつも私の萎える心を奮い立たせてくれるからだ。猪苗代の野口記念館もしかり、努力の人を見つめ直し、ときどき我が身を振り返りたいと思っている。

エッセイ
「吉田東悟に教えられた努力」 2004.8.5
 この夏新潟県安田町(現)に吉田東悟記念博物館を訪ねた。数年前に努力の人、東悟を初めて知って驚いたが、彼をもっと知りたくて二度目の見学となった。
 彼は若くして地誌学を志し地誌編纂に挑み、粉骨砕身、十三年の歳月を費やし「大日本地名辞書」を独力で編纂した。
 閲覧室でその辞書を開き、あらためて彼の超人的な学者像、理念に裏打ちされた目標とその達成に向けた桁はずれた努力と情熱に驚かされた。
最近、安田町は近隣の町と合併し阿賀野市となった。全国で市町村の合併が進められている今日、先人の生活、歴史的地理的な文化、風俗や民情をもっと重視しなければならないと言う東悟の主張が聞こえてくるような気がする。
帰りに東悟が執筆の際愛用したと言うイヌの文鎮を求めた。それは私の机の上でいつも、努力しなさいと呼びかけてくれる。

吉田東悟についてはウェブで検索しても載っていないので、記念博物館のパンフ
から、以下に貼付する。

吉田東悟について

絶えないポイ捨て

2006-09-04 | 日々の生活
あいづっこ宣言 (市内のあちらこちらに看板が立てられている。)》

   いつも不思議に思いながら、犬と散歩している。
 道路には、数メートルおきに吸い殻が見つかる。空き缶やヘットボトルが転がっている。飲み残しのコーヒー缶もある。ガムや、アメの包み紙もある。また、他の犬の落とし物を拾うことも。一体マナーはどうなっているのだろうか。
 もう何年も前から、アパートの駐車場で、いつも周りに自分の使ったティッシュを山のように捨てる人がいた。今朝、ちょうど車にいたその人に注意した。いい大人に、当たり前のことを注意しなければならない。どこかがおかしいと思う。
 家に戻り妻に話すと、「逆恨みされて殺されるよ」と恐ろしいことを言われた。孫を連れての散歩も心配だと。そう言われると不安になった。本当に殺伐とした世の中だ。

 会津若松市では、数年前に青少年の心を育てる市民行動プラン“あいづっこ宣言”を策定した。青少年問題が増加・多様化する中で、子どもたちがこんな子どもに育ってほしい、大人もこういう人になろうという誓いである。でも、実はこれは青少年ばかりでなく、大人の行動規範でもあることに気づいた。
自分を含め、「ならぬことはならぬである。」と言い聞かせたい。
物質的に豊かな社会に、貧しさを垣間見たような気がした。この国のおとなが心配だ。

   ◆あいづっこ宣言
     1、人をいたわります
     2、ありがとう ごめんなさいを言います
     3、がまんをします
     4、卑怯(ひきょう)なふるまいをしません
     5、会津を誇(ほこ)り 年上を敬(うやま)います
     6、夢に向かってがんばります
     やってはならぬ やらねばならぬ
     ならぬことはならぬものです

乱舞するアサギマダラ

2006-09-03 | 昆虫


 裏磐梯の初秋を楽しんだ。誰もいない落葉松林の中、十数頭のアサギマダラがヒヨドリバナに吸蜜に訪れていた。ひらひらと風に乗り滑空するアサギマダラの姿は優雅で、まさに楽園だった。
 アサギマダラは、誰が、なぜ、名付けたのだろうか。アサギは「浅黄」か「浅葱」だろうが、翅の薄く透き通った部分の、緑がかったブルーはネギ(葱)の色を連想させるから「浅葱」なのだろうと思う。 光の当たり具合で微妙に変化する翅の色がきれいだ。そして何よりも、アサギマダラの飛翔はたおやかだ。
 アサギマダラは数百キロもの距離を、春は北上,秋は南下を繰り返し「渡り」をするチョウとしても知られている。最近は、日本各地で「翅のマーキング」によりその飛行履歴が調べられている。アサギマダラには鱗粉がないので、マーキングしやすく好都合だ。でもこれは、何か飛翔活動と関係がある様な気がする。
幼虫の食草はキジョラン、イケマ、サクララン等のガガイモ類で毒草だそうだ。そして、成虫になってからもアルカロイドの摂取が必要で、特に雄はアルカロイド含有の花蜜を摂って成熟するという。ヨツバヒヨドリにはそうした成分が含まれるそうだ。食草と、渡りとの関連もあるのだろう。
 若松市内でも何度かみかけたことはあったが、今日、裏磐梯で出会ったアサギマダラの乱舞に、あらためて不思議な、美しいチョウを思った。

 今、湿原に秋が訪れようとしていた。色づき始めた木々の向こうに、西大巓が見えた。ミズキクが盛りを過ぎ、ウメバチソウ、エゾリンドウ、アキノキリンソウが美しく咲き始めていた。
 初秋の裏磐梯・デコ平湿原でのさわやかな自然をスクロールで紹介する。(2006.9.2)

 初秋のデコ平湿原   
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エゾリンドウ                         ヒヨドリバナに吸蜜                   紅葉始まる            アザミに吸蜜                   ウメバチソウ                     アザミに吸蜜 左♂ 右♀              コバナノワレモコウ                       アザミに吸蜜                     西大巓を仰ぐ                       胴のまだら模様    

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彩色兵馬俑展

2006-09-01 | 文芸
 江戸東京博物館で開催中の「始皇帝と彩色兵馬俑展-司馬遷「史記」の世界-」で、今回、日本とドイツで世界同時初の公開という、彩色の残る兵馬俑を見てきた。
 展示内容は、司馬遷が著した中国最初の通史「史記」に即し、春秋・戦国時代から前漢・武帝時代(前8世紀~前1世紀)の玉印や鉄剣、装飾品など120件の文物資料などが公開されていた。
 それぞれすばらしい芸術品で、その製作技術に驚かされた。と同時に、始皇帝はもとより、時の権力者が如何に絶大であったことか、その富と栄華に驚いた。
 ○「史記」についてもう少し詳しく学びたいと思った。「臥薪嘗胆」「禍転じて福となす」「背水の陣」「敗軍の将、兵を語らず」などの日常何気なく使われている言葉は、「史記」に記されているものだ。生き方や壮大な歴史についてもう一度学び、日本との深い関わりを見つめたいと思った。 ○兵馬俑湖抗には、9列ある幅3.5mほどの通洞に、4列縦隊で兵俑が並んでいる。兵隊俑の平均身長は1.8m、胴体は空洞、下半身は詰まっていて、顔の表情はそれぞれ異なり、身分によって服装もまちまちであり、いずれも手に武器を握っている。今回展示されているそれらの俑を間近に見て、そのきわめて写実的で一人一人違う個性的な兵士俑の顔に興味がわいた。 ○また、着色の技術について興味をもった。釉薬ではなく、できあがった兵馬俑に生漆と顔料での彩色だ。今、2千数百年の時を経て色褪せてしまった兵馬俑の、当時の鮮やかな彩色を想像した。会場で見た「バーチャルリアリティー・シアター」で、極彩色だった兵馬俑軍団をCGで再現されていた。
 一つ一つ異る兵や馬の衣装や表情の一端を見ることができたが、ただひたすら整列する何千体もの人形を、実際に眺めてみたいと思った。そのスケールの大きさは感動そのものだろう。中国旅行をして、まず西安の兵馬俑抗を見てみたい。今回の展示を見てますますその思いを強くした。その前に、中国の歴史をしっかり勉強したいと思っている。

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  時を同じくして、先日(8/20 8:00~)、NHKで、探検ロマン世界遺産「希代のカリスマ 果てなき野望~中国・始皇帝陵と兵馬俑坑~」の放送を見た。
【番組の解説】
<20世紀最大の考古学的発見>といわれる地下軍団・兵馬俑。1974年に中国・西安郊外で偶然見つかった兵馬俑は、中国史上初めて天下を統一した秦の始皇帝の絶大な権力を示すものと考えられてきた。しかし近年の調査によって、始皇帝が「地下帝国」ともいえる壮大な死後の世界を築こうとしていたこと、そして8千体の兵馬俑もまたその一部にすぎないことも明らかになってきた。近年、中国調査団による初の科学地質調査が行われ、陵墓の地下に巨大な空洞があること、水銀の反応があることなどが確認された。司馬遷の『史記』の記述だけで伝説の存在だった地下宮殿が実在する可能性が高まった。さらに陵墓周辺にもこれまで予想もされなかった施設がちりばめられていたことも明らかになった。強大な軍事力とカリスマ性によって君臨したファーストエンペラー・始皇帝。世界最大の墳墓<始皇帝陵>、史上最大の建造物<万里の長城>、そして未完に終わった巨大宮殿<阿房宮>など、桁外れのスケールの大事業を次々と手がけた始皇帝は、現在に至る巨大国家「中国」の礎を築いた。なぜ辺境の一小国にすぎなかった秦が中国を統一できたのか?伝説の巨大地下宮殿は果たして実在するのか?最新の発掘調査をもとに、悠久の大地に眠る中国の歴史ロマンに迫る。リポーターは、鎌倉千秋アナウンサー。
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 【1号兵馬俑の一部】  
 (兵士俑8,000体、馬俑600体が埋葬されている)