年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

印度洋常陸丸事件の当時の状況

2007年05月03日 | 福神漬
日本郵船70年史 128頁
100年史には記述がない。
常陸丸の記述は3行しかない。
『常陸丸は大正6年9月26日欧州航路・往航の途次、インド洋にてドイツ仮装巡洋艦ウォルフの砲撃を受け拿捕されて、その後爆沈され、船長は自決した。』
たったこれだけである。
第一次世界大戦といってもこれだけとは富永船長の悔しさが感じる。

1917年(大正6年)第一次大戦下、ドイツ海軍が無制限潜水艦作戦を開始したが印度洋では危機が迫っているとは思われなかった。印度洋で行方不明となったのはこのような危機意識だったので油断していたのである。長谷川伸著『印度洋の常陸丸』によると、日本から欧州に向かった寄港地にドイツのスパイがおり、通報されていたのだろうと記している。
 常陸丸の行方不明が日本で新聞紙上において騒がれ始めたのは、10月22日頃からである(東京朝日新聞)。平成の現在の新聞記事と同じように関係者のコメントが載っている。この時点では情報が少なく戸惑っていた。

無制限潜水艦作戦とは、戦争状態において、潜水艦が、敵国に関係すると思われる艦艇・船舶に対して目標を限定せずに攻撃するという作戦である。ドイツのこの作戦によりアメリカが参戦し、1918年11月第一次大戦が終わる。

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