年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治の軍隊と福神漬

2007年05月27日 | 福神漬
陸軍糧秣廠 丸本彰造氏の談を読んでいるとどうも一時は日本陸軍では福神漬の缶詰を造っていたようである。広島にある広島市郷土資料館は旧陸軍糧秣支廠(りょうまつししょう)缶詰工場でした。日清戦争の時民間調達の缶詰に石が入るなどの不良品が多く軍直轄の製造工場を建設する事になったが『日本缶詰史』によると石が入っていたということは全くの誤報であったということである。
 陸軍は日清戦争時には福神漬は納入されていると言うがはっきりと文献に出てくるのは日露戦争時で、漬物というと福神漬となっていた。海軍では日清戦争時はパン食のためか漬物は少ない。海軍は日清戦争後『海軍糧食条例』と『海軍経理規定』を改正し、それまでのパン食3回から1回となり、米麦食2回となった。(海軍おもしろ事典・高森直史)
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