年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

日本缶詰協会 ③ 

2007年05月19日 | 福神漬
第二巻
福神漬の昔と今
陸軍糧秣廠 丸本彰造
 今日の(大正12年7月頃か)開缶研究の福神漬はすべてで101品,他に参考品数点あったが、その中でチョッと変わった一品があった。それは従来福神漬と海苔の佃煮とを折衷したようなものであって,すなわち瓜が5割,その他は割き干し大根,沢庵、蓮根の順序に少々づつ、これに色彩的に蕗を極めて少量加え、調味液をドロドロの海苔にて仕上げた物である。材料は大切りである。ことに割き干し大根は長さ一寸くらいに切ってある。
 元来福神漬の最初は前記の通り,なた豆と紫蘇と大根の三品であって,畑作品のみであったが、この掘り出し物(骨董品の意ではない)は畑のもの、田の物、海の物を配して造りあげたものであって,食料資源の趨勢と,変化する人の嗜好から考えて,係る物が出来たということは偶然でない,そして従来にとらわれないという点に私は興味を痛く沸かしたのであります。
解説 大正12年頃は第一次大戦後の不況で福神漬の生産者が各種の工夫をしていたことが分かる。101品の福神漬の缶詰が品評会に出ていたことから考えると出品しない福神漬もあるのでかなり多くのブランドで出ていたのだろう。
 注意すべきは『敷島漬』『日本橋漬』のブランドで売られていた福神漬で『敷島漬』は今のサンヨー堂(東京都中央区日本橋堀留町1丁目)の製造していた福神漬で、『日本橋漬』は今でも販売されている福神漬の缶詰で、国分が製造していた。
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