年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

遺留品の福神漬木箱

2007年05月07日 | 福神漬
大正7年2月14日東京朝日新聞
なぞの品々(筑前丸がもたらし帰った)
常陸丸の遺留品の写真が掲載されている。
下駄の大きさと比較して写真にある醤油樽の大きさは一斗樽(約18リットル)だろう。写真では縦に立っているが巾着印の中に酒悦の焼印があり、東京・池之端・福神漬の文字が見える。木箱から推定すると缶詰入りの福神漬だろう。大きさから6個入りか?1号缶(1貫目入り・3.75kg)だろう。
山脇武夫日本郵船監督は「沈没・拿捕いづれともまだ断定できない、常陸丸の備品は確実である。」
日本郵船にて新聞記者に捜索の持ち帰った品々を説明していたのは山脇武夫であった。写真のある新聞記事は東京・大阪の朝日新聞に掲載されていて、読売や毎日・万朝報などは記事のみであった。
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