缶詰時報 ② 続き
第二巻
福神漬の昔と今
陸軍糧秣廠 丸本彰造
梅亭金鵞先生試食一番『これはうまい,食を進める、栄養になる、そして本当に経済だ、これぞ誠に福の神に好かれる漬物で身体は丸々ふとり、お家繁盛万々歳』と福神漬と名付けたもので、なお酒悦主人は梅亭先生に頼んで木版の綺麗な引札を戸毎に配って広告したものであると。
そしてこのことは鶯亭氏が梅亭先生の門人であって丁度その時試食し引札のすり方も手伝った確かな生き証人で、その時の引札を持ってこなかったのが残念であると鶯亭氏は回想的な眼差しで語られ、また酒悦さんが福神漬缶詰の祖先であることはこうした由来から起こっているが元来酒悦さんは江戸時代から香煎と屠蘇、その他祝儀の熨斗や酒の肴のウニやカラスミのような各国名産品売って居ったもので酒悦というお目出度い名前もそんなことから始まったのであろうと鶯亭氏は付け加えたられたが、福神漬が酒悦から出た、それが姓名判断から言って目出度いことのように思われるのであります。
解説 鶯亭氏は東京毎日新聞の記者であったためこの話はかなり広まっている。引札とは今のチラシ広告のことであって、福神漬を宣伝する必要があったためで、漬物は自給の時代では購入させるのは何か目新しいことが必要であったためで、本当に知られるには時間がかかった。
梅亭金鵞は『七編人』等の著書で知られ、『七』は彼の好きな数字かもしれない。
第二巻
福神漬の昔と今
陸軍糧秣廠 丸本彰造
梅亭金鵞先生試食一番『これはうまい,食を進める、栄養になる、そして本当に経済だ、これぞ誠に福の神に好かれる漬物で身体は丸々ふとり、お家繁盛万々歳』と福神漬と名付けたもので、なお酒悦主人は梅亭先生に頼んで木版の綺麗な引札を戸毎に配って広告したものであると。
そしてこのことは鶯亭氏が梅亭先生の門人であって丁度その時試食し引札のすり方も手伝った確かな生き証人で、その時の引札を持ってこなかったのが残念であると鶯亭氏は回想的な眼差しで語られ、また酒悦さんが福神漬缶詰の祖先であることはこうした由来から起こっているが元来酒悦さんは江戸時代から香煎と屠蘇、その他祝儀の熨斗や酒の肴のウニやカラスミのような各国名産品売って居ったもので酒悦というお目出度い名前もそんなことから始まったのであろうと鶯亭氏は付け加えたられたが、福神漬が酒悦から出た、それが姓名判断から言って目出度いことのように思われるのであります。
解説 鶯亭氏は東京毎日新聞の記者であったためこの話はかなり広まっている。引札とは今のチラシ広告のことであって、福神漬を宣伝する必要があったためで、漬物は自給の時代では購入させるのは何か目新しいことが必要であったためで、本当に知られるには時間がかかった。
梅亭金鵞は『七編人』等の著書で知られ、『七』は彼の好きな数字かもしれない。