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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

新富座の地図

2008年12月01日 | 福神漬
新富座の地図
中央区の京橋図書館に地域資料室の中に明治時代の築地付近の地図があって新富町付近は芝居茶屋が連なっていた。
芝居茶屋 演劇大辞典より
江戸時代から明治初期までの観劇機関のひとつ
寛永元年(1624年)江戸に櫓を上げた当時、劇場の周囲の空き地に許可を得てよしずばりの掛け茶屋を出したのがことの初めであった。
 開場を待つ観客に茶をすすめたものが中々の人気となり、次第に観客がなじむに連れて荷物を預かったり、茶屋に頼んで木戸札の手配を頼んだり、働くものから湯茶をもらって弁当を食べたと言う。
昔の観劇は開演時間と幕間が長かったので茶屋で休息したり食事を取ったりするので一日楽しく観劇するには芝居茶屋を利用しないと観劇できなかった。
大茶屋 表茶屋  桟敷席の大部分を占めていた
小茶屋 裏茶屋  俳優に接近することが出来た
水茶屋 場内の飲食物の手配をする。
とにかく観劇に費用が掛かったので明治末期に開場した帝国劇場が出来ると衰退した。
 このような劇場の姿は今では想像つかないが混雑した場内は空気が汚れ、トイレの悪臭が漂ったり、観劇する場の桟敷で飲食するため汚れていたという。
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