年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

河竹黙阿弥と竹柴其水のこと

2008年12月04日 | 福神漬
河竹黙阿弥と竹柴其水のこと
竹柴其水は河竹黙阿弥の三番目の弟子ともいう人で『皐月晴上野朝風』の脚本で『天野八郎の場』『本所金魚屋の場』は河竹黙阿弥が書いたという。日本戯曲全集 第32巻
 河竹黙阿弥の俳号(其水)を明治20年頃にもらい竹柴其水を名乗ったと言う。世間一般に知られている歌舞伎脚本の代表作は『め組の喧嘩=神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)』である。
 新しい演目が上演され、ある程度たつと歌舞伎の劇評が現れる。今の時代の劇評と違ってあからさまに筋の変更を求めているのもある。変更が頻繁にあったのだろう。
 明治23年5月新富座公演で上演された竹柴其水作『皐月晴上野朝風』の脚本を読むと、第七幕博覧会の場があるが時間が足りなく実際は上演されなかったようである。しかしこの脚本を読むと明治23年と言う時間が彰義隊と上野周辺の人々、時代の変化に乗った人、乗れない人の懐旧の情が染み出ている。実際に上演したらどんな反応あったのだろうか。新撰組と比べて彰義隊は語られることも少ない。でも上野で福神漬は生まれたのである。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする