皐月晴上野朝風 19
旧幕府 2 合本 戸川残花編
第九号 明治30年12月20日発行
沢太郎左衛門演述
三河屋幸三郎の伝
彰義隊の隊士の死体が放置され、鳥獣の餌となり霊魂の行くところもないのを憂いて官軍に願って、遺骸を円通寺に納めたのはこの人である。東軍のために兵器を貯蔵し義徒を匿い、ついに西軍の知るところになり、危なく家宅に入られようとしたが見事に追い払ったのもこの人である。
幕府創立以来250年来、録を受けて恩義があるのに関わらず三河武士の面目を失いただ自身の身の上を心配して様子から一市井の商売人でありながらこの有様を見て憤慨し身命財産を掛けて徳川家の犠牲に供しようとしたのが三河屋幸三郎である。
この人の資料も少なく侠客と言う人もあれば義人ともいう人もある。明治以後横浜で『根付』などを扱う美術貿易商みたいなことをしていたようで彫刻家高村光雲の思い出の文に出てきます。
旧幕府 2 合本 戸川残花編
第九号 明治30年12月20日発行
沢太郎左衛門演述
三河屋幸三郎の伝
彰義隊の隊士の死体が放置され、鳥獣の餌となり霊魂の行くところもないのを憂いて官軍に願って、遺骸を円通寺に納めたのはこの人である。東軍のために兵器を貯蔵し義徒を匿い、ついに西軍の知るところになり、危なく家宅に入られようとしたが見事に追い払ったのもこの人である。
幕府創立以来250年来、録を受けて恩義があるのに関わらず三河武士の面目を失いただ自身の身の上を心配して様子から一市井の商売人でありながらこの有様を見て憤慨し身命財産を掛けて徳川家の犠牲に供しようとしたのが三河屋幸三郎である。
この人の資料も少なく侠客と言う人もあれば義人ともいう人もある。明治以後横浜で『根付』などを扱う美術貿易商みたいなことをしていたようで彫刻家高村光雲の思い出の文に出てきます。