河鍋暁斎から
河鍋暁斎美術館で学芸員との会話の中で榊原健吉・歌舞伎役者との交流や建築家コンドルの話が出てきた。
2009年東京駅に近いところに三菱一号館が再建された。ここには来年美術館ができるのだがこの建物は英国人ジョサイア・コンドル(1852–1920)の設計により、1894年(明治27年)に竣工したのを忠実に再建したという。
三菱グループは明治中期、日本郵船が基幹企業でその社史のエピソードの中で「カレーライスと福神漬』が出てくる。上野で創製された「福神漬」が根岸に住んでいた人達から色々なルートを通して、日本郵船に納入された。しかし具体的な資料・史料がないから周囲の状況証拠で推測してゆくしかない。第二次大戦後、多くの日本郵船関係者の証言があるだけで、今のところ文献が見つからない。
根岸の人脈と三菱の関係から「記録になくて記憶にある」福神漬の話が始まるのだろうか。コンドルは三菱関係の建物を数多く設計している。コンドルは日本人を妻とし、明治の日本文化を理解しようとした人だった。明治の味ともいえる福神漬とカレーライスと三菱を結ぶ人だったかも知れない。
河鍋暁斎美術館で学芸員との会話の中で榊原健吉・歌舞伎役者との交流や建築家コンドルの話が出てきた。
2009年東京駅に近いところに三菱一号館が再建された。ここには来年美術館ができるのだがこの建物は英国人ジョサイア・コンドル(1852–1920)の設計により、1894年(明治27年)に竣工したのを忠実に再建したという。
三菱グループは明治中期、日本郵船が基幹企業でその社史のエピソードの中で「カレーライスと福神漬』が出てくる。上野で創製された「福神漬」が根岸に住んでいた人達から色々なルートを通して、日本郵船に納入された。しかし具体的な資料・史料がないから周囲の状況証拠で推測してゆくしかない。第二次大戦後、多くの日本郵船関係者の証言があるだけで、今のところ文献が見つからない。
根岸の人脈と三菱の関係から「記録になくて記憶にある」福神漬の話が始まるのだろうか。コンドルは三菱関係の建物を数多く設計している。コンドルは日本人を妻とし、明治の日本文化を理解しようとした人だった。明治の味ともいえる福神漬とカレーライスと三菱を結ぶ人だったかも知れない。