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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

根付の研究

2009年09月17日 | 福神漬
根付の研究 上田令吉著
根付とは江戸時代に小物を紐で帯から吊るし持ち歩くときに用いた留め具という。従って帯をしめない現在では装飾品としてのものとなる。福神漬の歴史を調べてゆくうちに関連資料として書いておく必要が生じた。
 この本によると根付けが海外に流出した原因は三河屋幸三郎が関係していたという。幕末ペリー来航時、幕府の人足頭で横浜に警備に行ったところ、偶然米国人と知り合い幸三郎の持っていた根付をあげたところ米国人からお返しの品を無許可でもらったため、「幕府とアメリカとが開国貿易交渉しているときに密貿易した」と幕府の咎めを受け獄に入れられた。しかし、このことを聞いた米国人は事の次第を話し、ようやく幸三郎は許された。
 神奈川が貿易港となったとき、偶然幸三郎がその米国人と出会い、出獄についての礼を述べたところ、その米国人と友達となった。双方で会話が進むうち幸三郎の根付けの話題となり、米国人が資金を出し、幸三郎が日本各地で根付を買い集め、神奈川に送り、海外に輸出されたという。
 幸三郎は神田旅籠町に三幸商会という美術商を開き、横浜にも店を出し、根付けのほかに外国人の好む美術品の輸出を始めたという。明治22年5月5日に死去
 彼は上野戦争で彰義隊の死者を弔ったひとで旧幕臣との交遊もあり、榎本武揚と親しかった。また彫刻家高村光雲とも親しく付き合っていた。明治の前半は日本の美術品が海外に流出していた時でもあった。三幸商会は幸三郎の死去後もあって新聞に思い出の記事がある。
 福神漬はどのようなルートを通じて、上野池の端のから日本郵船の船に乗り、カレーライスに付くようになったのでしょうか。なぞはまだ続く。
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