年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

暁斎画談より

2009年09月11日 | 福神漬
暁斎画談 
明治20年頃、河鍋暁斎が門弟たちのために修学資料を作ることを考え、画論とか技法を暁斎が描き、文章を梅亭金鵞に頼んだ。この本が編集者瓜生政和の名前で出版した。
梅亭金鵞の住所は小石川区指ヶ谷町73 士族
河鍋暁斎の住所として本郷区湯島4-22番地 平民とあった。この本の出版当時は暁斎は根岸に生活の居を構えていた。

筆意
辞書によると筆意とは「筆を運ぶときの気構え。また、書画のおもむき。ふでづかい。」

暁斎画談(キョウサイ ガダン)河鍋洞郁∥画瓜生政和∥編
内篇 上・下と内篇 上・下と外偏 上・下がある。内偏は河鍋暁斎以前の画家の技法や技術論でそれぞれに〘筆意〙として題がついている。
外偏は河鍋暁斎の履歴を文と絵画によって描いてある。一部事実と異なることがあって河鍋家の人達には評判が悪い。戯作者梅亭金駕(瓜生政和)の面白くなければ売れないという考えがあったのだろうか。この本が出版されたころには福神漬がすでに命名されていたのだが何も由来となるべきヒントは無かった。残念。
コメント
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