書画会より
明治21年6月2日
東両国中村楼にて
主催者 浪野東助 (なみの‐とうすけ)の引退ということで書画会が開催された。1833(天保4年)‐1889(明治22年)57歳
この書画会で彼の賛助者として河鍋暁斎と服部波山の名前がある。服部波山は根岸に住み幕末から明治にかけて活躍した画家である。明治7年頃根岸に転居した鶯亭金升は彼の母の勧めによって服部学校に通うようになった。服部波山のところで書画、漢籍・漢文を習っていたという。
鶯亭金升は明治22年画家小林清親の媒酌によって(10代目岩井半四郎の父日本舞踊花柳流・花柳寿太郎〘明治34-昭和42〙の父の姉〙ぬいと結婚する。
建築家コンドルに嫁いだ前波くめが花柳流の踊り手だとすると意外と知り合いだったかもしれない。
明治21年6月2日
東両国中村楼にて
主催者 浪野東助 (なみの‐とうすけ)の引退ということで書画会が開催された。1833(天保4年)‐1889(明治22年)57歳
この書画会で彼の賛助者として河鍋暁斎と服部波山の名前がある。服部波山は根岸に住み幕末から明治にかけて活躍した画家である。明治7年頃根岸に転居した鶯亭金升は彼の母の勧めによって服部学校に通うようになった。服部波山のところで書画、漢籍・漢文を習っていたという。
鶯亭金升は明治22年画家小林清親の媒酌によって(10代目岩井半四郎の父日本舞踊花柳流・花柳寿太郎〘明治34-昭和42〙の父の姉〙ぬいと結婚する。
建築家コンドルに嫁いだ前波くめが花柳流の踊り手だとすると意外と知り合いだったかもしれない。