花柳流なんて
何年か前に築地本願寺で花柳流の方の葬儀があって、黒塗りの車から袴姿の男性が降りてきたのを見かけた。漬物にはまるで縁のない人達と思っていた。その後新聞記事で築地に花柳流の建物があると書いてあった。これも築地の何処にあるのか知らなかった。
花柳流の歴史が書いてある本がある。残念ながら築地にある中央区中央図書館にはなく、都立中央図書館にある。(通史花柳流 花の流れ一世紀 柴崎四郎著)
花柳流は江戸時代末期に西川流から分かれたという。浅草の方から明治以後発展してきた銀座に移転し、初期の隆盛を迎えた。しかし、初代が亡くなると跡継ぎが幼く最初の流派の消滅の危機を迎え。このとき親族会議で斉藤くらが幼子を引き取り育てていくこととなった。斉藤くらは横浜で繁盛していた料亭の女将で後に政治家や東京の花柳界を動かす人だった。
富貴楼のお倉は三井・三菱と関係があり、福神漬の発展の陰にある人物と思われる。
何年か前に築地本願寺で花柳流の方の葬儀があって、黒塗りの車から袴姿の男性が降りてきたのを見かけた。漬物にはまるで縁のない人達と思っていた。その後新聞記事で築地に花柳流の建物があると書いてあった。これも築地の何処にあるのか知らなかった。
花柳流の歴史が書いてある本がある。残念ながら築地にある中央区中央図書館にはなく、都立中央図書館にある。(通史花柳流 花の流れ一世紀 柴崎四郎著)
花柳流は江戸時代末期に西川流から分かれたという。浅草の方から明治以後発展してきた銀座に移転し、初期の隆盛を迎えた。しかし、初代が亡くなると跡継ぎが幼く最初の流派の消滅の危機を迎え。このとき親族会議で斉藤くらが幼子を引き取り育てていくこととなった。斉藤くらは横浜で繁盛していた料亭の女将で後に政治家や東京の花柳界を動かす人だった。
富貴楼のお倉は三井・三菱と関係があり、福神漬の発展の陰にある人物と思われる。