年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

河鍋暁斎美術館へ5

2009年09月07日 | 福神漬
河鍋暁斎美術館へ5
 毘沙門天の絵
河鍋暁斎が七福神の絵をかなり描いているがその中の毘沙門天の剣がどの様な形であるかが福神漬の命名には問題である。しかしどの毘沙門天の絵の剣はまともな形でデフォルメされてナタ豆の輪切りの形になっていない。
 どれもまともな毘沙門天の絵で梅亭金鵞が暁斎の絵を見て見立てたと思ったが残念『はずれ』。そうしたら美術館の方が榊原健吉とかコンドルとかの名前が出てきた。コンドルは池之端の隣ともいえる茅町三菱の岩崎邸を設計したという。また有栖川宮・北白川宮の邸宅もコンドルが設計したという。上野戦争の当事者の邸宅を作ったのは奇縁ともいえるだろう。明治14年頃、コンドルと暁斎との関係は宮内省主馬寮山口融氏か紹介したという。
コメント
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