なた豆と刃
近代演劇の来歴 神山彰著
武士の象徴である刀は明治の廃刀令によって身分の象徴から売買の対象となる商品となってしまい、権威の象徴として刀の必要性が無くなった。また明治も20年頃になると文明開化の象徴である散切り頭が普通となり、ちょん髷姿は旧習を守る人と思われていた。明治10年代の河竹黙阿弥の芝居に現れているという。
福神漬に入っているなた豆(なた豆を塩漬にしてスライスした物)は当初にはカタナの意味することを暗示していたが明治20年頃から欧風主義から国風回帰によってカタナという暗示が忘れ去られたのではないのだろうか。
その暗示を○○とすると○○は具体的に表すと明治政府を批判する事となり、商売上不都合だったのではないのだろうか。福神漬が創製された明治10年代には上野戦争の記憶と文明開化の状態から旧習に戻る事は無いだろうが旧幕臣や江戸市民には恨みも残っている複雑な心境の時でもあった。検閲を避けるため伏せ字(○○等)を用いるがなた豆を毘沙門天の剣に見立てたと言わないと判らない。毘沙門剣とか最近のゲームの影響で言葉の理解が進むが明治の10年代はこのような事を比ゆ的に漬物の中に入れることによって東叡山寛永寺・輪王子宮から店名を戴いた酒悦主人は自己の意思を表そうとしたのではないのだろうか。ただ○○した事が明治憲法制定後、戊辰戦争の恩赦が行われ、隠す必要性が無くなり、(隠し)比喩を忘れ去られたのでは無いのだろうか。リス等が冬眠の時に食物を隠したが、隠した場所を忘れてしまって、そこから新しい植物が広がる事と同じ事かも知れない。
福神漬の見立て
大根、茄子、瓜、ナタ豆、しその実、生姜、レンコン、胡麻の七種ならば
大根は大黒天 インドのガネーシャ神はゾウの折れた牙。
浅草待乳山聖天の境内にある大根・巾着の印は御利益を示すもので大根は健康で和合、巾着は商売繁盛を現すものだという。
茄子は初夢に出てくる茄子で縁起が良いもの。布袋様のおなかの姿にたとえられる。
瓜は 弁財天は瓜実顔(ウリの種に似た、色白く中高でやや細長い顔)の美人になっている。
なた豆 毘沙門天の剣。刃物の形に似ているので英訳でもSWORD BEENSと表記する。
しその実は縮緬状の葉っぱから寿老人だろう。
胡麻はエビス神。夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須などとも表記される。
福禄寿は一番難しい。星を表すならばシソの実か胡麻だろう。しかしもう取上げてあるのでしょうがないから生姜。
レンコンは蓮。蓮っ葉はおてんばとなると吉祥天か。
見立てだから適当に納得すればよいだろう。とにかくコジツケだから根拠はない。
こんなたわいのないことを考えていた。確固とした伝説があるわけでもないから福神漬の野菜と七福神とのこじつけは失敗したのだろう。従って今に伝わらなかったともいえる。今のJAS規格の福神漬はきゅうりが入っているが
江戸時代は下品の野菜であった。切り口が徳川の葵の紋に似ていたから東叡山寛永寺のおかげで繁栄していた下谷の人達がキュウリを入れる必要性はない。
本草綱目啓蒙 小野蘭山著
福神漬に入っている「なた豆」
刃豆 なたまめ たちはき(四国・九州)たてはき(土州)
(一名)葛豆 衢州府志 〖衢州市(くしゅう-し)は中華人民共和国浙江省に位置する地級市。地理 浙江省の西部に位置し、杭州市、金華市、麗水市、安徽省、江西省、福建省に接する。〗
莢豆 泉州府志〘中国福建省南部の港湾都市。台湾海峡に臨み、唐・宋時代から南海貿易の拠点として発展。〗
刃鋏荳 郷談正音
葉は豇豆(ささげのこと)より大きい、花も又大きくて紫色。莢(さや)の形は長大にて菜の刀のようである。未熟のものは莢を連ねて煮て食べる。
汝南圃史に(汝南とは中華人民共和国河南省の駐馬店市に位置する。)
普通豆類はその種を食する。ただ豇豆(ささげ)は連なっている莢(さや)食す、而ち刃豆の味は全部莢にあるという。熟すれば豆が成長すると八九分淡い虹色に光って見える。白い花の一種のものは豆もまた白い。白なた豆と呼ぶ。
九州・四国のたちはきが帯刀なって小松帯刀となったという小説があった。いずれにしてもなた豆と刃物は結びついている。
刀豆
(『増補 俳諧歳時記栞草(下)』岩波文庫、p.136~137)より
刀豆:中国明朝時代の李時珍曰く、莢(さや)の形を以てこの名を命名された。思うに、酉陽雑俎(ゆうようざっそ)の選者段成式が言うには、楽浪(今の朝鮮半島の平壌付近)に挟剣豆という豆がある。莢(さや)、横に斜にして人の剣を挟めているようである。即(すなはち)此豆なり。三月に種をまく。蔓が生じ、育って一ニ丈(一丈は約3mなので36mとなる)。葉は豇豆(さやえんどう)の葉の如くにして稍(ちと)は長大である。五六月紫花をひらく、蛾の形のごとし。莢を結ぶと長いものは尺(約33cm)に近い。微莢(ちと=さやがさいかち)に似ている。扁(ひらたく)して剣脊(しのぎ)三稜(三角形)、宛然たり(そっくりそのままである)
中国明朝の李時珍の本草綱目から。
言葉尻からみると「なた豆」は剣・刃物に例えられている例が多い。
酉陽雑俎(ゆうようざっそ)
中国唐時代、段成式の編纂
東洋文庫 酉陽雑俎(3)の325ページ
挟剣豆 洛陽の東にある融沢の中に生じる。豆の莢(さや)の形が、人が剣を手挟んだ格好に似ている。ななめになって生じる。
挟剣豆がなた豆かどうかはまだわからないが日本には朝鮮半島経由で入って来たのだろうか。
農業全書 宮崎安貞 岩波文庫122ページ
なた豆。
是を刀豆と名付けることは、剱の形に似ている故である。三月初に植え、灰で覆い、古い莚(むしろ)ぎれ、其何でもよいが此類のくさり物など覆いを置くとよい。
又播種の仕方。冬より穴をほり、肥え土を入れ置き、春になって一粒づゝ目の方を下にして植え、少し土をかけ、灰にて覆い、土を多くかけず、其上に古いざうり(草履)の類、何か軽い物を覆い置き、五七日の後は取り去ってよい。芽が出た後、根葉が少し生ずるのを見て、糞水(肥)をそゝき、つるが長くなるのを待て、竹を立て、是にまとはわせ、又籬をゆひ、かきにするもよし。風で動かぬよう様につよくすべし。動けば多く実ならず。是又肥地に糞を多く用いれば過分に実なる物なり。後略
近代演劇の来歴 神山彰著
武士の象徴である刀は明治の廃刀令によって身分の象徴から売買の対象となる商品となってしまい、権威の象徴として刀の必要性が無くなった。また明治も20年頃になると文明開化の象徴である散切り頭が普通となり、ちょん髷姿は旧習を守る人と思われていた。明治10年代の河竹黙阿弥の芝居に現れているという。
福神漬に入っているなた豆(なた豆を塩漬にしてスライスした物)は当初にはカタナの意味することを暗示していたが明治20年頃から欧風主義から国風回帰によってカタナという暗示が忘れ去られたのではないのだろうか。
その暗示を○○とすると○○は具体的に表すと明治政府を批判する事となり、商売上不都合だったのではないのだろうか。福神漬が創製された明治10年代には上野戦争の記憶と文明開化の状態から旧習に戻る事は無いだろうが旧幕臣や江戸市民には恨みも残っている複雑な心境の時でもあった。検閲を避けるため伏せ字(○○等)を用いるがなた豆を毘沙門天の剣に見立てたと言わないと判らない。毘沙門剣とか最近のゲームの影響で言葉の理解が進むが明治の10年代はこのような事を比ゆ的に漬物の中に入れることによって東叡山寛永寺・輪王子宮から店名を戴いた酒悦主人は自己の意思を表そうとしたのではないのだろうか。ただ○○した事が明治憲法制定後、戊辰戦争の恩赦が行われ、隠す必要性が無くなり、(隠し)比喩を忘れ去られたのでは無いのだろうか。リス等が冬眠の時に食物を隠したが、隠した場所を忘れてしまって、そこから新しい植物が広がる事と同じ事かも知れない。
福神漬の見立て
大根、茄子、瓜、ナタ豆、しその実、生姜、レンコン、胡麻の七種ならば
大根は大黒天 インドのガネーシャ神はゾウの折れた牙。
浅草待乳山聖天の境内にある大根・巾着の印は御利益を示すもので大根は健康で和合、巾着は商売繁盛を現すものだという。
茄子は初夢に出てくる茄子で縁起が良いもの。布袋様のおなかの姿にたとえられる。
瓜は 弁財天は瓜実顔(ウリの種に似た、色白く中高でやや細長い顔)の美人になっている。
なた豆 毘沙門天の剣。刃物の形に似ているので英訳でもSWORD BEENSと表記する。
しその実は縮緬状の葉っぱから寿老人だろう。
胡麻はエビス神。夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須などとも表記される。
福禄寿は一番難しい。星を表すならばシソの実か胡麻だろう。しかしもう取上げてあるのでしょうがないから生姜。
レンコンは蓮。蓮っ葉はおてんばとなると吉祥天か。
見立てだから適当に納得すればよいだろう。とにかくコジツケだから根拠はない。
こんなたわいのないことを考えていた。確固とした伝説があるわけでもないから福神漬の野菜と七福神とのこじつけは失敗したのだろう。従って今に伝わらなかったともいえる。今のJAS規格の福神漬はきゅうりが入っているが
江戸時代は下品の野菜であった。切り口が徳川の葵の紋に似ていたから東叡山寛永寺のおかげで繁栄していた下谷の人達がキュウリを入れる必要性はない。
本草綱目啓蒙 小野蘭山著
福神漬に入っている「なた豆」
刃豆 なたまめ たちはき(四国・九州)たてはき(土州)
(一名)葛豆 衢州府志 〖衢州市(くしゅう-し)は中華人民共和国浙江省に位置する地級市。地理 浙江省の西部に位置し、杭州市、金華市、麗水市、安徽省、江西省、福建省に接する。〗
莢豆 泉州府志〘中国福建省南部の港湾都市。台湾海峡に臨み、唐・宋時代から南海貿易の拠点として発展。〗
刃鋏荳 郷談正音
葉は豇豆(ささげのこと)より大きい、花も又大きくて紫色。莢(さや)の形は長大にて菜の刀のようである。未熟のものは莢を連ねて煮て食べる。
汝南圃史に(汝南とは中華人民共和国河南省の駐馬店市に位置する。)
普通豆類はその種を食する。ただ豇豆(ささげ)は連なっている莢(さや)食す、而ち刃豆の味は全部莢にあるという。熟すれば豆が成長すると八九分淡い虹色に光って見える。白い花の一種のものは豆もまた白い。白なた豆と呼ぶ。
九州・四国のたちはきが帯刀なって小松帯刀となったという小説があった。いずれにしてもなた豆と刃物は結びついている。
刀豆
(『増補 俳諧歳時記栞草(下)』岩波文庫、p.136~137)より
刀豆:中国明朝時代の李時珍曰く、莢(さや)の形を以てこの名を命名された。思うに、酉陽雑俎(ゆうようざっそ)の選者段成式が言うには、楽浪(今の朝鮮半島の平壌付近)に挟剣豆という豆がある。莢(さや)、横に斜にして人の剣を挟めているようである。即(すなはち)此豆なり。三月に種をまく。蔓が生じ、育って一ニ丈(一丈は約3mなので36mとなる)。葉は豇豆(さやえんどう)の葉の如くにして稍(ちと)は長大である。五六月紫花をひらく、蛾の形のごとし。莢を結ぶと長いものは尺(約33cm)に近い。微莢(ちと=さやがさいかち)に似ている。扁(ひらたく)して剣脊(しのぎ)三稜(三角形)、宛然たり(そっくりそのままである)
中国明朝の李時珍の本草綱目から。
言葉尻からみると「なた豆」は剣・刃物に例えられている例が多い。
酉陽雑俎(ゆうようざっそ)
中国唐時代、段成式の編纂
東洋文庫 酉陽雑俎(3)の325ページ
挟剣豆 洛陽の東にある融沢の中に生じる。豆の莢(さや)の形が、人が剣を手挟んだ格好に似ている。ななめになって生じる。
挟剣豆がなた豆かどうかはまだわからないが日本には朝鮮半島経由で入って来たのだろうか。
農業全書 宮崎安貞 岩波文庫122ページ
なた豆。
是を刀豆と名付けることは、剱の形に似ている故である。三月初に植え、灰で覆い、古い莚(むしろ)ぎれ、其何でもよいが此類のくさり物など覆いを置くとよい。
又播種の仕方。冬より穴をほり、肥え土を入れ置き、春になって一粒づゝ目の方を下にして植え、少し土をかけ、灰にて覆い、土を多くかけず、其上に古いざうり(草履)の類、何か軽い物を覆い置き、五七日の後は取り去ってよい。芽が出た後、根葉が少し生ずるのを見て、糞水(肥)をそゝき、つるが長くなるのを待て、竹を立て、是にまとはわせ、又籬をゆひ、かきにするもよし。風で動かぬよう様につよくすべし。動けば多く実ならず。是又肥地に糞を多く用いれば過分に実なる物なり。後略