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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

東洋文庫 酉陽雑俎

2017年10月25日 | 福神漬

東洋文庫 酉陽雑俎 3冊19巻 325ペ-ジ

833 樂浪有挾劍豆,莢生橫斜,如人挾劍。即此豆也。

 

楽浪の東にある融沢のなかに生じる。豆の莢〈サヤ〉の形が、人が剣をたばさんだ格好に似ている。斜めになって生ずる。

 

楽浪とは今の北朝鮮のピョンヤンに当たる。

 

 この資料を調べた〈食材本草〉というブログの書き手は『ナタ豆は莢を野菜として食べることもできるが、近郊百姓が栽培していなかったので豆としてのみしか利用できなかったのだと思われる。
 上流階級にとっては、穀類や豆類への拘りといえば、先ずは味と食感で、次が見かけだろう。長寿だ健康だといった発想があったとは思えぬ。』

 

東洋文庫の日本語訳の識者もナタ豆の本草学的薬効がわからなかったようだ。挾劍豆という漢字に影響され現物のナタ豆と違うようだ。ナタ豆が帯刀という漢字で剣をたばさんだ言う意味を書いたのだろうか。

SWORD BEENSという英語もSWORDは剣という意味を持っている。

 もしかすると挾劍豆とナタ豆が同一の植物かという疑念が生じる。貝原益軒が大和本草という本を著すまで日本の本草学は中国にある植物は日本に在ると思っていたようだ。貝原益軒が中国にない日本の植物を調べた。ナタ豆は江戸時代初期に中国から渡来したので資料は江戸時代となる。従って河村瑞賢・了翁禅師等も福神漬創製者に入ってもおかしくはない。
時期的の言い伝えのつじつまは合う。

コメント
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