年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

河村瑞賢の漬物話

2017年10月04日 | 福神漬

河村瑞賢出世話の文献の始まり

翁草 神沢貞幹著

河村瑞賢成立のこと 日本随筆大成 第三期19巻より

河村瑞賢の事、元は車力十右衛門とて常に車を押して世を渡る雇夫なり。

 もともとの先祖が没落し、伊勢地方に住んでいたが生来の才知抜群のもので故郷を出て江戸に行くが中々うまく行かず、ふと思いついて上方に上り見の行く末の転機を計ろうと小田原で一泊した。同宿の老荘に問われ事情を話すと『今景気のよい江戸を離れて上方に行っても出世成功すること出来るのか』と諭され、瑞賢は老僧の意見ももっともだと思い江戸に戻ることにした。品川の海岸で丁度7月のお盆で瓜茄子がおびただしく海岸に流れ着いているのを見て、ふと思い付近にいた乞食どもに金を与え、知り合いのところより古樽を借り、さきの瓜茄子を漬け普請小屋へ行きこの漬物を売る。

 普請小屋は今の建設工事現場で日雇い労働者のために昼食に漬物を販売した。大いに売れたのでそれより工夫して漬物を販売続けた。

ここから福神漬の話になるには無理があるような気がする。何処から変化し、今では福神漬伝説の一つになったのだろうか。

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