年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

福神漬伝説 田中芳男説を探る

2017年10月26日 | 福神漬

 

長野県飯田市出身の田中芳男が上野公園にどう関係してくるかを探ってみよう。

福神漬の言い伝えで明治の田中好男が命名者として文献に出てくるのは大日本洋酒缶詰沿革史  1915年刊(大正4年)からである。

 今まで資料を調べていると田中説はこの本からしかない。さてどうして長野県飯田市出身の人が福神漬に関係してくるのだろうか。

 

 田中は町田久成と共に上野公園を整備する尽力した。1867年パリ万国博覧会で田中と町田は知り合った。町田は1865年薩摩藩英国留学生15名の中の一人でイギリス滞在中に同時期に密出国した芸州藩野村文夫〈後の村田文夫〉と会っていると思われる。

 田中芳男がなぜパリにいたかというと長野県飯田市の医師の3男に生まれた田中は尾張本草学の伊藤圭介について学び、伊藤に伴われ幕府の洋学研究機関『蕃書調所』の一施設・物産所に勤務のため江戸に移ります。慶応3年(1967)パリで開催された万国博覧会に幕府として展示物を収集し参加します。ここから近代の博覧会と田中のつながりが始まります。

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