年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

一心太助と築地魚河岸

2017年10月03日 | 築地市場にて

築地に勤め始めた時、飲む会合でしきりに『天下の築地』と言う言葉を聞いた。なんとなく好景気で人手不足が深刻になり、人材不足を感じていた時だった。朝日新聞が築地に前は本当に怖い世界で若い女性で築地の仲卸の帳場に立つ人は縁故者しか居なかった気がする。

 1958年頃の映画で中村錦之助主演の一心太助の映画があった。三代将軍家光と大久保彦左衛門、日本橋魚河岸の一心太助の物語である。これは架空の話だが大久保彦左衛門の墓の隣りに一心太助の墓があるという。大久保彦左衛門の領地は小田原にあったので築地市場の隣りの町は戦前小田原町といっていて、築地の人たちのねぐらでもある。一心太助の屋号と言うべき印は今でも魚河岸のマ-クとなっているという。架空の話なので講釈はいくらでもできる。

 さて映画の話に戻るが、一心太助が将軍の居城に魚を納品する時、大名行列をさえぎるところがある。普通なら生麦事件のイギリス人のように手打ちされるとことだが、将軍ための納采で行列をさえぎる権利があったようだ。大名を下に見るキモチのよさを築地の人たちは感じていて天下の築地と言う言葉が出るのだろう。

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