HIDEの死去した平成10年5月の築地市場の記憶をたどると既にネット検索では築地市場カレンダ-が出てこない。(桜を見る会)と同じように検索の期限が切れているのだろうか。
単なる1998年のカレンダ-だと5月3日が日曜日である。当時は市場も日本全国不況でこの年には大きな銀行が破綻している。そのような時期なので築地市場の5月の連休は3日4日の連休で5月5日は開市だと思う。HIDEは5月2日に急死しているので葬儀の手配は連休と会場の都合で急遽築地本願寺になったと思われる。このことはファンなら周知のことだが市場人は連休の手配で外部のことは気にしてはいなかったようだ。5月7日の本葬の記憶が無かったが確か青果門は開いていて、出入りする市場関連の車の通路分はHIDEの霊きゅう車を見送るため歩道に並んだ喪服の行列も通路は空いていたと記憶している。
この1998年は少し前に青島幸雄都知事が湾岸地域で開催予定だった都市博覧会中止の混乱中だった。この後石原知事となり、築地市場の再建工事が中断している状況から移転という方針に変え物事が進み始めた。
今から思うと平成の大不況で社会体制の外に表現を求めた若い人たちの苦悩があったかもしれない。特に体制に乗れない人(学歴がないとか女性とか)その共感が今でも三浦霊園に多くの生花がささげられていると思う。世紀末で次代への不安感があった。翌年になると2000年問題で少しは景気が動いたが、不動産特にゴルフ会員権の暴落は漬物業者を痛めた。