年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

叔父の特攻死から浦和レッズ

2019年12月21日 | 宅老のグチ
埼玉大学教育学部での資料調査でようやく親族の言い伝えで埼玉師範学校卒業が確認された。昭和18年9月卒業である。この年11月1日には学徒出陣ということで病弱の学生以外は徴兵となる。女学生は高等教育機関から軍需工場へ派遣となる。
 なぜ死を予定している陸軍特別操縦見習士官の試験を受けてかはまだ疑問が残っている。遺書らしきもなくいまだに応募の動機が不明で今でも疑念が残る。師範学校での軍事教官が応募させるように仕向けたのだろうか。少なくとも親族の言い伝えでは教師になることが叔父の夢だった。教え子の生き方を教えることを目指した人がなぜ死の確立の高い特操生の試験を受けたのだろうか。さらに各学校への応募のノルマがあっても埼玉大学で見せていただいた資料ではそれほど優秀な学生でなく、まじめで温厚な生徒であったようだ。従って不本意な試験を無理して合格するような回答を書く必要性はない。なぜ不合格を目指さなかったのだろうか。いずれ不合格でも11月には学徒出陣となる。この昭和18年9月卒業の埼玉師範学校男子生徒のその後の調査はなされていないようだ。学徒出陣後の生存率はどうなっているのだろうか。
 事務所で資料をもらった後埼玉大学図書館へ向かい閲覧確認する。住所等の人物確認ができれば一日閲覧が可能のようだ。ただ事前にネットで確認していたが師範学校の資料は一冊しかないようだ。師範学校の資料は県立図書館浦和のほうが師範学校の資料は多いようだ。
 ついでに埼玉師範学校が日本におけるサッカ-の発祥だという。高校サッカ-で浦和がよく出るのはこの伝統があるようだ。叔父の言い伝えにはサッカ-は出てこない。寡黙で友人の少ない真面目な人だったようだ(開示した資料の評から)。
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