年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

コミケ帰りの人波で

2019年12月30日 | 宅老のグチ
妹の抗がん剤治療の急変で入院したため有明の癌研病院へ荷物を届けに行くと、普段は人も歩いていない歩道がラッシュ時の駅のようになっていた。年末のコミケの帰りの人波ということで、りんかい線の駅へ行く人波だった。整然と歩いていたので癌研病院に入るため、すぐに道を開けてくれた。
 見舞いの部屋から下を眺めるとかなりの人波が続いていた。ネットで昨日の人出が19万人という。多くのタクシ-が道に止まり普段と異なる。
 正月モ-ドとなった病院は閑散。がん患者も正月になる。1階の掲示でなんやら医学用語で活動状況を書いてある看板を眺めていた。内容は日本語なのに理解できない。しかし全体の雰囲気では女性のがん患者の卵子保存のことのようだ。放射線治療後のようなことで子供を産めなくなるリスク軽減のような研究らしい。
 普通の日本人の半分はガンにかかる時代だから色々な個人の需要があるようだ。妹は31日に退院。30分呼吸が止まっていたという。今のところ記憶が元通りのようだ。あと少し遅れると脳に酸素不足で障害が出ていたかもしれないと思うと抗がん剤は油断ができない。トイレの中で倒れると死もあったかもしれない。2010年代も間もなく終わる。
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