年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

.新編農業教科書 大正2年刊

2019年12月29日 | 宅老のグチ
埼玉県立図書館のデジタルライブラリでこの本を見ている。この教科書は埼玉師範学校同窓会が編纂した埼玉県の地域に合わせた農業の教科書で今の中学生の年齢に当たる人の教科書のようだ。この大正期はここまでの学歴が多かった様だ。2巻は高等小学校2年生の本となっていて、農業と国の関係が書かれている。大正の当時は商業のように一攫千金のようなことは無いが地道に農業を行えば財産は増えると書いてあった。農民は農作業で体を鍛えているので兵士として適任であると強調している。
 昭和に入って世界恐慌となって農村世界も大不況となり、教科書のようにはならなかった。ここに日本の軍部の農家出身の青年将校の暴走の根源となる。農業を真面目に行っていても家が貧しくなる。師範学校の農業教科書のようにならなかったのが昭和初期の農業だった。
 築地市場が発足したころ、各地の農業指導者が過剰となった野菜を加工し東京に向けて出荷した。中身をごまかしたり生漬かり沢庵などがあって不正競争が蔓延していた。地方の農村不況はそうしなければ生き残れなかった。このような記録も少なく言い伝えが同業の長老から聞いた話となる。
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