年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

クリスマスは父の墓前で

2019年12月25日 | 宅老のグチ
64年前のクリスマスの朝に父は死去した。この年昭和30年で、翌年から戦後は終わったといい始めたころだった。景気の良い日本は戦後の貧困から抜け出し、所得も上がり、日々生活が向上していたころだった。クリスマスのころが忘年会と重なりキリスト教信者でないのにバカ騒ぎする時代だった。今のハロ-ウィン騒動より酷かった。テレビがNHKと日本テレビしかない時代で、町内にも数台しか無かった。そのテレビで近所の人たちとプロレスを見た後、父は脳内出血で倒れ、間もなく死去した。医者によるとかなりの高血圧だった。父は力道山の勝利を見て興奮し倒れたと聞いて、池上本門寺の力道山の墓参りをした。五重塔の付近から力道山の墓所の案内板があって、墓にたどり着く。腕組みした力道山の銅像があった。彼は39歳で亡くなった。東京オリンピックの少し前のことだった。今思うとよい時代だった。
 父の死去で生活が一変し、性格も暗くなった。ただ救われたのは周囲の支援で今日に至る。あの時生まれて3か月の男の子も今度のオリンピックが終われば65歳、その後30日すぎればまだ生きている母は100歳となる。しきりに父に会いたいと言っているが昭和20年1月の下旬に死去した美人の先妻と特攻で22歳で死去した若い弟とあの世で遊んでいるから、しわくちゃな婆さんが行っても誰かわからないから、まだこの世にいたらと言って聞かせる。妙に納得した。母は写真でもすぐに美人とわかる先妻に今でも嫉妬しているようだ。
コメント (1)
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