年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

昭和16年の戦争が始まって

2019年12月24日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
家族の歴史を調べているが既に80年前では言い伝えと異なっていることに気が付く。
叔父の特攻の記録として特操一期生史の本を読むと、募集時は特攻を予定していたのではなく、単なる飛行機操縦者の促成養成機関だった。ところが訓練中に戦局が悪化し、物量に負ける日本は命と引き換えの戦法に変わったという。叔父の陸軍特別操縦見習士官への応募の動機が不明で遺書もなく困っている。ただ当時は海軍も飛行機操縦士官の募集していて、人気で劣る陸軍は質の劣る応募者を避けようとしていたと思える。個人情報の問題でこの研究はまだ無い様だ。特操一期生史の学歴のある特攻戦死者を見ていると、全国各地の師範学校出身が目立つ。このことは靖国神社の図書館で学芸員との会話で学歴を聞かれ、埼玉師範学校と答えたら、妙に納得された印象がある。師範学校生はもしかすると各校にノルマがあって、各学校から応募者を出さねばならなかったのではないか?募集の内容も体形と視力と卒業見込みが重視されていたと感じる。海軍の予科練の試験は応募者が多く、結構難しい。師範学校に派遣されていた陸軍出身の軍事教練の指導者にほぼ指名のような応募者と感じる。叔父の埼玉師範学校の成績は中位であらかじめ特操生の合格が予定されていたのでは無かったのだろうか。親族の話では突然の相談なしの応募だったようだ。
コメント
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