小説や映画やドラマで涙するタイプだが学術的な本で初めて涙した。(師範学校制度史-15年戦争教育史)逸見 勝亮 著1991年出版
叔父の特攻と師範学校の制度・特にアメリカとの交戦状況下の師範学校とはどのような制度だったを知りたかった。親族に伝わる言い伝えでは小学校教師を目指していたのがどうして死を免れない陸軍の飛行機操縦者の試験に無断で応募したか理解できなかった。
この本の著者によると師範学校の制度が森有礼の暗殺後、日本の帝国憲法の趣旨に副うような国民教育に変わったようだ。小学校が卒業した程度でも国家が危機の時、国に奉仕する精神を教えることだった。
それは師範学校内に陸軍出身の人が教練する。15年戦争になり、師範学校行事と結合する。出征兵士の歓送迎、戦死者の遺骨の出迎え、慰霊祭参加、観兵式、防空演習、上海・南京陥落時の記念提灯行列など師範学校が教育から国家の危機に奉仕するようになっていった。日本各地の師範学校の多くは陸軍連隊の所在地と重なり、軍部の意向が直ぐ学校に伝わるようになっていた。軍事講習、卒業後の短期現役制度などで師範学校が軍事と結びついていた。
宗教的な理由で私立学校がこの陸軍の派遣する講師を拒むと卒業の教練単位が取れず卒業できなかった。私立学校が入学者が減り、経営難となった。
この様な時代に視力が1.5あった叔父は陸軍から派遣された教官に説得されたと思う。(間もなく戦争が終わるから)と信じこまされたと思う。仮に応募しなくても翌月には学徒出陣ということで兵士となっていた。