年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

コロナ戦敗戦後の世界 共通言語

2020年04月22日 | 宅老のグチ
随分昔の話となったが、まだアメリカで寿司が駐在日本人と戦前から住んでいた日本人にしか日本食が売れなかった。その時からアメリカのタクワンと福神漬を輸出していた。今は無くなったが芝浦に農林水産省の輸出検査所があって、輸出規格の制定されている漬物の検査をして、合格証を発行してもらい芝浦の倉庫に納品していた。日本食貿易業界ではもう死語となったがタクワン貿易という。今がその施設がほとんど消え、マンションとかに変わった。
 日本食品の貿易会社と商談で、アメリカのFDAの規格に合わせた書類制作で勉強した。日本と違って、多国籍の人を雇用して労働させる仕方をニュ-ジャジ-州の倉庫で教えてもらった。アラビア数字が世界の共通の文字だということだった。これは築地市場でバブル時に不法就労や密入国した人が築地で働いているのが不思議で事情通に聞いたことがあった。日本語が話せなくとも日本に来るくらいの人は数字が読めるし、車も運転できる。築地市場の地図と車のナンバ-の数字を書いて商品を運ばせていた。当時は若い人は築地にはいなかったので重宝していた。夏には低温冷蔵庫の中で昼寝していた。彼らは朝昼夜働き一月で100万円以上稼ぎ、カップラ-メンや賄い食で命をつなぎ故郷に家を建てたりして、すぐ帰郷した。日本が不景気なるまで結構黙認されていた。代わりの日本人が不在だった。
 いまコロナでアメリカの働き方が変わりそうで、リモ-トワ-クが普通となりそうだ。ニュ-ヨ-クの高層マンションには退避できない貧民が多く、コロナ感染爆発で不都合な真実が露見した。芸術家も仕事が消えた。コロナ感染に対処する危険のある仕事だけ今都市の仕事として残っている。これはコロナ戦後に日本へ先進国の前例としてやってくる。マンション・エレベ-タ-はコロナタワ-となる。特に高層であればあるほど感染リスクが大となる。賃貸が増え、居住者が均一の人でなくなる。
 アメリカは世界の先行している。食物の輸出規制が始まった時、危機は本物である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする