年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

すみだ北斎美術館へ

2020年10月17日 | 宅老のグチ
大江戸線両国駅を降りて、すみだ北斎美術館 へ行く。葛飾北斎美術館としなかったのは、葛飾区にあると勘違いされるからだろう。
 北斎美術館へ行く目的は研究誌の北斎研究28巻の所蔵している図書館で今まで行ったことのないところと思い、ついでに北斎を見るという計画を立てた。入口付近に立っている警備の人に電気の点燈していない図書室を差し、開いていないのですかと尋ねた。閉まっていると答えがきた。入場券売り場で尋ねるとコロナで閉まっていると言われた。開く予定はコロナ明けまで不明のという。仕方なく65歳の700円の割引で入る。
 会場を出てふと思い出し、隣に墨田区立みどり図書館があるのに気が付く。美術館から200Mくらいなのでダメ元で図書館で検索すると郷土資料のところにある。この北斎研究28巻には二本松出身の高橋太華が葛飾北斎の伝記を載せている、少年雅賞という雑誌は今は国会図書館のデジタル本となっていて、自宅でも読むことは出来るが本の形の方が見やすいし、外出の口実には適当かもしれない。今は東京のコロナ感染数も300人くらいで安定していて、急増するという冬は閉鎖が多くなると予想されるので、少しでも進みたい思いがある。
 みどり図書館の郷土資料室は過去二回ほど入っているがいつも混んでいてたが今回は無人だった。コロナは多人数いて密室をる避ける思いがあることを知る。これでは大学のように部屋を変える講義はまだ無理かもしれない。誰が前に座っていたか解らない。
 高橋太華は太華山人という名前を明治20年代のこの時期は使っていたようだ。飯島虚心より、数か月ほど前に北斎の伝記を日本で初めて出版した。少年向けだったので北斎研究家にはあまり評価されていない様だ。高橋は根岸に集まった文化人仲間の一員で後には岡倉天心の日本美術院の一員になったという。高橋太華の北斎研究は何処から始まったかはまだ解明されていない様だ。飯島虚心は海外の研究が日本の関心を呼んだと研究者は考えているようだ。虚心の北斎は高橋にさきを越され、北斎の晩年の研究は前半より省略されている。時間が無かったのだろうか。虚心による河鍋暁斎の評伝は原稿までの完成だった。

 ここまで根岸の人たちの交友関係からどこで福神漬につながるかは不明だがコロナ明けの時には何かがわかるような気がする。
コメント
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