築地市場にいたとき、近所の大谷図書館へ時々福神漬の資料確認へ行っていた。酒悦のホ-ムぺ-ジで五代目菊五郎との交遊の意味を探っていた。昔は図書館カ-ドで検索し、貸し出し票の内容を記載し、本を出してもらうのだが今はネット検索で蔵書が解るようになったようだ。明治26年に上演された遠山桜天保日記と2008年末に再演された歌舞伎とは最後の段が省略されていたようだ。この確認で大谷図書館へ行って、脚本を見てみたい。
1980年12月の歌舞伎座の公演の脚本も大谷図書館にある。遠山桜江戸白浪という演目となっている。検索の内容から2008年の構成と似ている。さらに明治26年に上演時の劇評をした饗庭 篁村(あえば こうそん) の記録も確認しなければならないだろう。
明治26年に上演した時、作者の竹柴其水(たけしば きすい) が色々と天保の老人たちを取材し劇を創作したと思われる。従って最近に公演した台本は当時の意味もなく、上演時間節約でカットした終幕のため、劇自体の内容を観客に理解させることを難しくしたと思われる。天保は遠くなった。
この件をしつこく調べるのは嘉永3年10月末に南町奉行配下の与力同心たちによって高野長英が惨殺された。生け捕りが基本の江戸町奉行の方針が一応高野の自殺と歴史書ではなっているが、鶴見 俊輔 氏の評伝本・高野長英では惨殺されたとある。
要は冤罪(蕃社の獄)で逮捕された高野が放火によって長期逃亡した罪をどう評価するかで南町奉行遠山 景元(金さん)筒井政憲(元南町奉行)の判決に不満を示した突発的な与力たちの行動と思われる。江戸町奉行与力同心のメンツを無くす、江戸市内潜伏は生きて解放されるかもしれないと思っていたのだろうか。
江戸時代の放火は100%死罪だったのだろうか。遠島は無かったのだろうか。