年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

米(こめ)と二宮尊徳

2022年06月19日 | 宅老のグチ
食品が円相場とウクライナ戦争の余波でデフレとは思えないくらい値上げという価格改定が進んでいます。その中でもコメが売れ行き不振で減反が継続されています。コメと肉のミックス食品である、築地市場内から全国に普及した牛丼もありますが、いまいちコメの消費拡大がおろそかになっています。
「米」という字は「八十八」という文字からつくられたという俗説があります。 お米ができるまでには88回もの手間がかかる、という意味で共通認識のようです。 昔に比べて今は便利な農業機械もあるので、米作も簡単になったようですが機械代金の償却と農閑期の維持整備は大変のように感じます。 いまでもイネを育ててお米を収穫するまでには、たくさんの手間がかかります。
 江戸時代の印旛沼開削工事を調べていて、二宮尊徳が工事の見積もりを出していたが、工事人夫を雇用するのでなく、平時は農業に従事して、農閑期に幕府の資金で運河開削工事を行う仕法のようで、異国船の浦賀封鎖の懸念があった時なので、この仕法では短期間で運河開通ができないとされ却下された。浦賀水道が異国船で封鎖された時、江戸の物価が高騰した。
 二宮尊徳のことは少し知っていて、彼の生家を訪問したことがある。実に粗末な家で酒匂川の氾濫 で二宮家の田畑のほとんどが流出してしまった。 耕作放棄の土地から少しづつ収穫し、失った田畑を買い戻した。このやり方を小田原の藩が認め次第に農業コンサルタントのような仕事になった。ゆっくりと進める仕法はうまくゆく見事だが、天変地異に弱く、油断すると元のやり方に戻ってしまうようだった。このあたりの妨害者は農村地域を縄張りとする博徒と思える。房総の博徒の顧客は農漁民だった。今でも思うのだが農林水産業はギャンブル性のある仕事で1+1は必ずしも2にはならないし、時には1+1が0.5位の時もあるし。マイナスの時もある。
 天気と市場動向に恵まれれば農林水産業はやめられない。タダ良い時は翌年には作付けが増え乱売となる。昭和の30年代鹿児島県でタクワン大根栽培で農家が潤い、多くの農家が家を新築した。錦江湾添いの工業団地に関東では作れない巨大漬物工場が複数できた。次第に沢庵の消費が減り、農家がイモ栽培に変化した。イモは焼酎用だった。市況の変化に合わせ農家も作物を変えてゆく。この才覚がないと今の農業は職業として継続できない。
 コメの関する政策は今から思うとつぎ込んだ税金が農家のためにならず、人材が消え、政治にたかるか頼ることになり、ますます将来の希望が見えず若者の人口が減ることになった。次の衆議院の区割りで有力な政治家の選挙区が分断され減り、都市の選挙区が増える。5年後にもさらに増え、最後は衆議院でも1県1選挙区ということもありうる。

 1年で60万人減る人口が団塊の世代の男性が75歳を過ぎると統計上では死去数が増え、男女比が逆転し、100歳では男性は稀となる。そんな統計上の数字でも、生きていても認知症の問題があって、男性の問題行動(運転免許返納・暴力・女性介護者へのセクハラ等)そろそろ介護情報共有される時期が着ると予想する。これは個人情報の問題からヘルパ-さんの安全問題に変化すると思われる。埼玉県であった介護していた医師に高齢遺族が発砲した事件がきっかけとなるかもしれない。
 出生時男女比によりますと明治時代からの統計を見ても、ほぼ出生時男女比は1.05で、男児のほうが多く産まれます。 75歳を過ぎると男性が激減し、未亡人が増えることになります。シルバ-パス利用の元気な高齢者の老女が目立つのはこのような統計の必然性があるのです。

 今高騰している食品物価に対応するのはコメを中心とした昭和の食へ転換する必要があります。そしてこれは国防に繋がるのです。ロシアと中国の恫喝に対抗するには自給を見込める米しかないのです。

 
 
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