江戸時代の最下級の仕事の成り立ちの文献を読んでいると今の世の中にある仕事の理由も理解できる。それが普通の仕事と認められ、意識を変えさせられ時には尊敬もされる。
国民健康保険の収支の数字で、昨年は黒字だったという。あれほどコロナで騒いでいて、国の予算もつぎ込んでコロナを抑えていた。それで一般の病気や検診が減り健康保険の請求が減ったという解説があった。今年はコロナの恐怖感が消え、元に戻ると思われるがマスク姿が夏でも消えずどうなるか判らない。
ここで諸物価が上がっているので、年金収入しかない高齢者の対策として、不要不急の医者通いがあるかもしれない。高血圧の薬はコロナ前はひと月ほどしか処方箋を出してくれなかったが、コロナが怖いと言えば今は3か月分出しそうだ。その分交通費とかが減って家計が助かる。コロナ前は病院の待合室が老女の交歓の場でもあってお互いの健康確認とかの情報交換の場でもあった、今は長居することもなく閑散として待合室の寂寥感がある。
同様に母の死去で葬祭場が簡素化され、焼き場前の泣き叫ぶ姿が少ないを感じる。実際は関係ないと思うが気分が変わる。
ここ2年の梅干しの不作と長い梅雨で和歌山の梅業界が売れ行き不振で大変だった。何か天気予報では梅雨明けの話が出ているがまだ熱中症が少ないと感じる。梅雨明け数日が一番危険であって、まだ量販店は梅雨の売り場構成となっている。早い梅雨明けは水遊びで死去する子供が増える。監視が少ないので海も危険だ。熱中症の報道が増えるに従い、量販店の売り場が広がり、普段は漬物売り場を通過する人も特設コ-ナーで塩飴とかの商品と並べられ売れ行きが良くなる。
多くの災害、病気は商売の道具でもある。不安を煽り貯めこんだ貯金を合法的に引き出す。これは司法の域外でまたこれを利用する犯罪者が出る。今は死の不安より、長寿の不安が増す。コロナで感染不安から医者通いを減らした。
感染のバラマキからマスクが消えない。
選挙の候補者が感染したらどうなるのだろうか、人は集めないといけないし、マスク姿で演説も菌をバラマキしそうで不安を招く。