年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

エアコンの記憶 昭和60年頃の築地市場内で

2022年06月26日 | 築地市場にて
暑さは今は学校でもエアコンが入って夏でも苦ではないところも増えている。昔と言っても昭和の終わりの築地市場の卸売り場には温度調節のエアコンが入っていなかった。当然のように夏は売れ残ったスイカが腐ってゴミ置き場に積まれていた。平成元年5月6日 大田市場青果部が開場すると、大田青果卸売場はエアコンが入っていて、産地で冷蔵した気温で青果売場に届き、そのまま冷えた状態で量販店に前取りで販売され、店舗に並んだ。ところが築地は狭く、さらに温度管理できないので急速に青果部の売り上げが落ちた。理由は簡単で市場内の物流が整備され、荷物の時間が読めることと、大田市場の青果物の日持ちが冷えていて築地市場より長い。豊洲移転騒動の時、青果部が移転に仲卸を含めすべてが豊洲移転に団結していたのは温度管理が出来なければ天下の築地の気風が江戸時代の名残となってしまうという共通の想いがあった。
 エアコンが築地市場に普及しなかった原因は移転または再開発の問題があって、電力の増設の見込みが立たず、先送りされていた。冷蔵庫用の電力に余裕が出来たのが大田市場が開業してからと思う。さらに事務所にエアコンを入れようとして陳情した時もあった。200Vの電力はなかなか確保できず、ガソリンタ―レ-の普及が遅れたのも充電設備と場所の確保が難しかった。電動タ―レ-が普及すると、築地市場内を爆走するガソリンタレ-が減り、静かになった。そしてガソリンタ―レ-が東京都の規制で新規購入は補助金が出て普及していった。それでも初期の電動タ―レ-は漬物のような重いものには一日の走行に無理と思い豊洲移転の3年ほど前にガソリンタ―レ-の部品が無くなり、仕方なく電動タ―レ-に替えた。電動タ―レ-が普及するとガソリンスタンドが1軒廃業した。地下の石油貯蔵タンクの改修が出来ないとか書いてあった。
電動車の進歩はすごく、一日の走行に耐えるようになった。それでも1回電池切れがあって、押して戻ったこともあったようだ。豊洲では市場内走行のみなので問題はない。築地では早朝には銀座方面で動いていたのを見かけた。もう築地移転して風景が変わったが、市場前の歩道に杭が置いてあったのは、車道を避け歩道走行するタ―レ-を阻止するためだった。歩く人がほとんどいないのに朝日新聞前の歩道の幅が広いのは昭和の名残で買い出し人の車が歩道に縦列駐車していた。大田市場開業後に築地の混雑が減ると東京都は姑息な手を使い、市場外の駐車空間を減らす策を出した。歩道に植木を植え、緑化した。最初は柳だった。銀座の柳で、今は少なくなった。さらに杭とフェンスで歩道を守った。築地市場の最後の新大橋通りは普通の駐車風景となった。長い間築地にいたので知っている人もこれから減るだろう。まだ豊洲へ移転して3年ほどなのにコロナで10年も前の話のように思える。
 
コメント
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