年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

仮住まいなので

2022年06月02日 | 宅老のグチ
住民票を取り寄せたら、前に住んでいた住所が出て、ふとその頃を思い出した。今から思うと何にも先のことを何も考えていないと感じる。今度の仮住まいもせいぜい2年と思っていて、その後は介護に入るように想定する自分に驚く。多くの高齢者マンションは看護婦が滞在して健康チェックしていて、45平米から55平米くらいの広さである。この広さに入る物に減らすしかない。もっと狭い家で過ごしていた時もあった。それでも介護ホ―ムはガランドウのように見えるので、また仮住まい中は減らすしかない気がする。
 今度の引っ越しで、世間の常識と自分の考えの差が自覚できた。そこは惰性で生きていた証拠だろう。少し小さくすれば物価の上昇に耐えることが出来る。高齢者の投資は若い時のようなリスクは取れない。多くの高齢者は若い人の投資話に騙される。要は小さい字に重要なことが書いてあって、見落としがある。口で説明したと言っても、録音していない限り、裁判でまける。今の低金利下で利回りの良い話は利率の差が最低でもリスクがある。また利率が納得しても管理料でマイナスとなった投資信託の苦い思い出がある。日本の商人は江戸時代の信用制度で発達したが今の時代では異国人との発想法が異なり苦労している。
 仮住まいは貧弱に見えるが経費的には納得がゆくし、次はもっと良い場所に少しでも広くしたい夢が残る。いわば人生のリセット期間と思うしかない。
 
 高齢者の賃貸に入ることは近年の孤独死の問題で苦労すると予想されたが、一時転居を強調したので何とかなった。それよりの柴犬の同居の出来る物件が少ない。今14歳なのでもうじき別れがやってくる。次の柴犬は飼えないのでまた引っ越しということでペットロスを回避する算段を家族に話したら、嫌われた。
 長い闘病生活で最後の数日は多くの人が見とるため患者のそばにいる。そして亡くなると厄介者扱いされ、1時間も経たないうちに霊安室に移動され、遅れてきた人が病室を見るとすっかり清掃され、次の患者を受け入れる体制となっていた。病院では業務で、死は日常なのだ。たいていの人は葬儀屋と付き合いがなく、病院出入りの葬儀会社に委託する。あわただしく家族が葬儀の日程を決めるのだが一度その日程をひっくり返したこともした。そして銀行の人に話すと聞かなかったことにし、次の代表者を急遽決め、決済の正当性を継続した。今から思うと代表者が複数いる意味が分かった。仕事なれば事業の継続性を常々考えないといけないと感じる。
 今度の仮住まいは次を考える時間と思う。今日の行動は次のネット回線をどこにするかという問題でやはりNTT系でないと再再転居に不都合と感じる。あとはプロバイダ-だがアドレスが5個あればよいし、足りないのはGメール済ます。

新聞販売店に引っ越しを通告する。今は年寄りしか新聞を読まない。そのうちニュ-ヨ-クタイムスのように紙が消える時代が日本にも来る。新聞販売数デ―タで公明新聞が朝日新聞を超して500万部以上という。この解説があって一家で複数購読し、配っているという。デジタルではこのようなことは出来ないし、人手不足から無理な購読は限界が来るし、紙資源の無駄な浪費となる。本屋のベストセラ-も結構いかがわしい。  
コメント
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