江戸時代干潟八万石といわれた所に行きました。椿の海というところを干拓したところです。地図では利根川と九十九里海岸に等距離で色々な影響があった。銚子を筆頭として利根川の周囲は醤油醸造業が発展していた。また九十九里海岸では関西漁民から伝わった漁法で鰯漁が発達し、木綿栽培に必要な魚肥産業が発達した。千葉の魚肥である干鰯は東浦賀の問屋を通して関西方面に流通していた。天保の改革で浦賀の問屋制度が破壊されたが浦賀与力であった中島三郎助は問屋制度の再建に力を貸していたようだ。
椿の海を干拓して出来た村で最大の村が万歳村です。ここが浦賀奉行戸田伊豆守氏栄の5男鉄丸が養子先となった花香家のあったところです。最近花香家の墓地に真新しい花香恭次郎の顕彰碑が出来ました。