年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

やっとマスクなしで動けるようになったが周りはマスク着用95%

2023年03月16日 | 宅老のグチ
 マスク姿を観察しつつ、電車バスに乗る。大方の乗客はマスク姿。老犬の散歩時にマスクなしが増えていると感じる。ただマスク警察の出番が消え、時々顎マスクでいることもある。東京の開花宣言があってようやく気分と桜の開花が追い付いた。東京の桜の花見の原点は上野寛永寺から始まる。花見の聖地ともいえる。次の聖地は王子の飛鳥山。江戸時代の花見風景は弁当を食しながら花見の絵が目立つ。
空調工事の終わった都立中央図書館が今日から予約なし、人数制限なしで行ける。ここで埼玉県史を調べる予定。まだ多くの県史編纂事業で戦後の混乱時期の様子が見えない。昭和20年8月16日から朝鮮戦争が始まるまでの5年間は体制の混乱期で同様な事例は鳥羽伏見の戦いから明治憲法発布までの20年間の混乱時期でもあった。昭和の20年代は実に予想も出来ない時代でその中で団塊の世代が生まれていた。彼らの父母は今消えつつある。
 もしその世代の人生の満足度調査があったら見てみたい。不可解な調査結果が予想できる。
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浅草で講談を聞きたい、見たい

2023年03月15日 | 宅老のグチ
国立演芸場で水戸黄門の米俵を聞いて、そういえば千葉県旭市飯岡町を訪問した時、飯岡助五郎の資料を飯岡町の図書館郷土資料室で見ていて、利根川添いの神社に天保水滸伝の記念館があってさらに土俵まであったことを思い出した。講談で天保水滸伝という。これをユ-チュ―ブで見ていて、やはり実演を観たいと思った。常設で講談を見るのは浅草しかない。それでも数年前より盛況とみられる。
 浅草木馬館は何度もかっぱ橋の台東区立中央図書館へ行くときに通った道筋にあるのだが記憶にない。浅草演芸ホ-ルとか浅草公会堂は見慣れていて、木馬館の記憶が無いのは存在が薄いのだろうか。ネットで調べると客席は100程度。予約なしという。つまりふらっと行っても見れそうだ。
  単に講談を観たい聞きたいのではなく、天保水滸伝でなくてはならない。福神漬の調査の過程で飯岡町には縁があって、さらに助五郎が浦賀の近所の出身でもある。この話は単に幕末の東千葉の博徒の争いというのでなく、飯岡が関西に送る肥料用の干し鰯産業、笹川が醤油醸造との争いに漁民と農民の争いでもある。漁加工業と農産加工業の争いと見ることも出来る。それぞれの繁忙期があって、暇な時に博打という娯楽となる。そこに大原幽学という農村指導者が現れ博打から離れるように農村民に生活指導をした。調べれば結構深い闇がある。あまり農漁民が真面目に生活すると博徒の生活が成り立たない。そこで博徒たちは難癖をつけ大原幽学を訴え、江戸での訴訟に持ち込んだ。江戸での訴訟はペリ―来航時の法行政の混乱で長引き、幽学支援者の金銭が疲弊した。幕末の治安維持が武士だけでは出来なくなっていたことを示している。
さて木馬館で天保水滸伝はいつ興行されるのだろうか。まず情報収集から始めるしかない。
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コロナ明けの月曜日 国立演芸場へ

2023年03月14日 | 宅老のグチ
天気予報では雨模様で普通なら自宅蟄居となるのだがコロナのマスク着用の自主規制ということの反応を観たかったので、外出強行。さてどこに行くかと思案していて、国立劇場で歌舞伎公演の待機時間に国立演芸場があって、ちらほら観客の出入りがあって気になっていた。数日前からチケットの予約状況をチェックしていたら14日以降は結構混んでいて、比較的に月曜日は中央の席を除くと空いていた。不思議な予約状況でそもそも落語のようなものはテレビでしか見ていないので雰囲気も知りたかった。
 JR新橋駅の銀座口のバス停から小滝橋車庫行に乘る。時刻表だとほぼ30分に一度の便の様だ。11時36分発に乗り、国会議場前のバス停で降りる。慣れない初乗車時に国会の正門過ぎて止まるので不安だった。そこから歩いて三宅坂に向かったのが最初の歌舞伎鑑賞。2回目は永田町駅から国立劇場の後ろから正面に回る。3回目の昨日は後ろから直接国立演芸場に入る。11時55分にチケット購入。チケットの説明で本日の公演では一部の人の変更があるという。なにせ初心者なので何を説明されたか判らない。そこで例によって前の方の席を見ると空席状況が解かる。前列3-3の席で中央の部分はほぼ満席。左右の席は比較的すいている。荷物の絡みで隣が空くように席の選択。
 始まり12時45分 前座というべき若手女子ののような落語者。それから15分ごとに演者が変わる。休憩15分あってそれからまた15分ごとに演者が変わる。
 講談で水戸黄門の米俵に腰かけた話で長い間探していた状況が解かって涙が落ちた。多分観客で涙したのは自分だけだろう。この話は戦前では庶民の常識でコメが日本で一番大切な食料だった。それに腰かけていた老人を咎め火打ち竹で額をたたいた。これは大切な上納のためのコメで腰かけるとは何事かといった。戦前はコメに対する感覚は今と異なり貴重品だった。
 国立演芸場の観客は多分コメ不足の時代を知っていると思われるが大学生は水戸黄門を知らないという人もあるそうだ。当然米俵の腰掛も知らない。ネットで検索してもあまり出ないし出ているのを見ても納得がいかない。さすがに講談の女性演者の話はよくわかって、涙した。
 最後は落語家さんでどうやら埼玉県春日部市出身の様だ。クレヨンしんちゃんの街でもある。
 ところが家に帰って劇場で配布されていた出演者一覧になかった。例によって小さな字で番組・出演者の一部変更の際はご了承下さいとあった。これが演芸鑑賞の常識の様だ。切れやすい高齢男子観客がおとなしいのは不思議。
 料金、普通2200円、シルバ-1600円 なんだかんだで3時間の暇つぶし。
帰りは半蔵門駅から切符で170円で神保町まで、都営に乗り換える。国立劇場の演芸観客は他の浅草・池袋・新宿の演芸場と異なるという。何せ隣は最高裁判所・国会・国会図書館である。東京の超上級国民の見る演芸場と言われた気がする。

 初代国立演芸場さよなら公演
3月 定席公演(中席) 3月11日より。
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ゆがんだ鏡の実像が見えるとき

2023年03月13日 | 宅老のグチ
アメリカの銀行が破綻した。久しぶりという。
今のところの新聞論調ではリ-マンショックのようにならないという。しかしリ-マンの時も初期の論調は大したことは無いと言っていた。経済の実像を著わす株式市場は今の所少し様子見つつ下落している。週明けの日本・アジアの動向によってはリーマン並みになるかもしれない。黒田日銀総裁も運の良い人だ。後任者は出だしから難破船の船長となる。先の見えない望遠鏡は役立たずで手探りで対処するしかない。
 人の顔を見るとき、鏡に映った虚像の絵を見て顔色判断する。さらに唇の動きも見るようだ。今日からマスクは業務の人以外は任意着用となり、子供が他人を認識する手立てが普通となる。
 鏡には不思議な力があって、心の中を見透かす。今話題のチャットGPT はどうやら中国とか大手企業の中では使用の禁止もしくは制限があるようだ。調べると不都合な情報発信があたかも人が正常に考えたように見えるという。つまり誤った情報でも真実のように見えるという。ウクライナの戦争もどうやらロシアの分析では簡単に攻略出来てしまうと見ていたという。間違った分析で戦争が始まることを知った。
 鏡は光の反射で見える。反射板がゆがんでいれば画像もゆがむ。これを気が付くのは経験しかない。
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3.11の日に蕨市図書館で半旗

2023年03月11日 | 宅老のグチ
3月11日 慰霊の半旗のある埼玉県蕨市の図書館で再び研究誌 暁斎を読む。この2年のコロナ蟄居で暁斎の気になるところが増えた。JR蕨駅の前の所が空き地となり99Mの高層マンションとなりそうだ。チョット前に行ったJR浦和駅前も高層マンション工事中。この分だと埼玉県の東京寄りは高層マンションとなりそうだ。
 蕨の図書館でいつも郷土資料の書庫から暁斎の研究誌を出してもらう。91巻から103巻まで読む。年だから根気が続くのがせいぜい2時間半まで。それ以上は本を眺めているだけと感じる。帰りの東京戻りはJR王子駅でサクラトラムに乗り換え。庚申塚駅でおり、旧中山道を都営三田線巣鴨駅まで歩く。土曜だけれど高齢者は毎日日曜日で混雑はない。JRで気が付いたのだがマスクなし乗客が増えて、さらに顎マスクも増えた。13日の電車は注目だろう。
 暁斎を読んでいて(金は剣より強し)という諺があった。ペンは剣より強しということは知っていた。言論は武力より強いということ。
 今の共産中国はアリババに対する強権発動を見ていると、体制崩壊を招く存在がアメリカからイスラム宗教、宗教と変わり、今は腐敗と思っている様だ。金はしぶとい。インフレの今でも金利が付かない金は保管料がかかっても安定している。日本以外の国は金の方が緊急時の安全資産の様だ。
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3.11の日に

2023年03月11日 | 宅老のグチ
昨日3月10日は大江戸線両国駅で降りて、震災戦災慰霊堂へ行った来ました。慰霊堂の扉が開けれ、どうやら一部の人が中に入れるようです。時間が昼前で普段より(もう4回目の訪問なので)多いと感じました。都の職員らしき人が喪服対応でこれは知覧の慰霊祭と同じと感じました。慰霊堂の前に垂れ幕があって、2023年関東大震災100年とありました。関東大震災の後でも多くの死者を地震では出ています。最近ではトルコ・シリアでまだ数字が動いているが6万人ほどの死者が出ているようです。日本の震災は倒壊による死者よりやはり津波の方が多いと感じる。3.10の東京大空襲はまだ心の整理とかあきらめの時期に来ていないようで記憶のある人がまだ探している様だ。

 目的地の墨田区緑図書館で両国駅の由来を調べる。地名の両国が隅田川の両側にあって人によって混同していて、頭を整理したかった。今は両国という地名がほとんど墨田区のほうだが、江戸時代の両国の火除け地というのは今の両国橋の西側、つまり中央区の方だった。また依然の蔵前国技館は一度相撲を見に行ったが今は東京都の下水処理場になった。この蔵前国技館は相撲の全盛期という声が多い。他の娯楽がまだない時代で食料が豊富になってやせっぽちの力士が太ってくる時期でもあった。江戸東京博物館は東京都中央卸売市場江東青果市場で、地名が横網(ヨコアミ)で漢字を見た時、横綱(ヨコヅナ)と言ってしまった時もある。
 東武線の歴史と親族の関係でやはり東武線の影響が下町にあると思っている。そこで東武線の両国橋駅というものを調べようとしたが緑図書館でははっきりしない。どうもJRの方の歴史本が多い。今のJR錦糸町駅が総武線の終点だったが今のJR成田線の前身の鉄道が開業すると、成田詣での客の獲得競争と、銚子の醤油輸送の絡みで、今の錦糸町駅から両国駅に伸ばし、さらに高架で秋葉原まで伸ばした様だ。この醤油輸送と利根川水運による醤油輸送競争が福神漬の歴史に絡んでくる。
 東日本大震災の数年後に3.11の津波で千葉県旭市飯岡町で慰霊祭の予告看板を見た。九十九里浜の外れの刑部岬の飯岡灯台で、震災時の津波写真を眺めていた。江戸時代の陸地は遠くまであって数百メ-トルが侵食されていた。もう津波で亡くなった千葉県民は地元の人しか記憶にないのだろうか。千葉県の津波による死者行方不明者十数名という。飯岡の助五郎の地は旭市下永井と言い、上永井は灯台のあるところで、幕臣長井家の知行所で、福神漬命名の由来を語っている鶯亭金升(長井総太郎)の所で小林清親が飯岡の助五郎の家に泊ったという伝説がある。小林は鶯亭金升の仲人でもある。
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先の短い高齢者は考える映画は観たくない

2023年03月10日 | 宅老のグチ
自分も頑固な高齢者になりつつある。朝起きると家人に今日の予定を聞く。もちろん前日に聞いているが体調と高齢柴犬の様子が全ての予定を破壊する。
なぜか急に宅配が増え、家人に聞くと楽天のポイントセ-ルで来るんだよという。自分はアマゾンが多いがプライム会員になって配送者を忙しくさせたくない。通常は自宅蟄居で配送を待つし、アマゾンは事前にメ―ルで配送予定が来る。一度セブンイレブンで留め置きした時もあって、他のコンビニ利用客への邪魔感があった。
 そんな理由でプライム会員の魅力が消える。今日の予定で急に家人が出るということで宅配待ちと老芝犬の介護となる。昨日久しぶりに午後3時過ぎの銭湯に行った。この時間が結構高齢男子の生存確認の場でもあって、挨拶を交わしながら湯につかっている風景を見ていた。新参者でまだ誰も知らないが午後3時の銭湯通いは50年ぶりとなる。兵庫県姫路市の国道に面していた銭湯だった。この銭湯は8か月ほどしか入った記憶が無い。昼の銭湯には夜の仕事の刺青の絵のある若い人が同時に入っていた記憶がある。
 夜寝る前に次の月曜日の予定を考えるが老人が見るには映画が重い(賞ねらい)のが多く、さらに子供の観客用の映画も見たくない。ここらで頻繁に来る国立劇場の様子も見たいがいまいち出かける気がしない。皇居の桜見物付きで、おまけの観劇等考えつつ寝る。
 というわけで3月10日は東京の空襲慰霊碑に献花することを考えている。あの空襲で父の知り合いが多数亡くなっているはずだ。今頃慰霊しても遅いと思うがウクライナのこともあって、二度目があってもおかしくない。原爆の三度目は何とか避けたい。
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板橋区の散策

2023年03月08日 | 宅老のグチ
常盤台の板橋区平和公園内の板橋中央図書館へ行って、志村のみの吉さんという篤農が育てたみの早生大根を志村郷土誌という本で調べようとしたが無理であった。手続きに時間がかかって、都内の貸し出し連携で図書館で借りることが出来るという。多分1ぺ-ジか2ぺ-ジ程の文があるだけだろう。
 平和公園の名前の由来が書いてあって、板橋区に陸軍の兵器工場が多数あって、米軍の空襲で亡くなられた人が多かったようだ。
 都営三田線の蓮根駅で降りたのだが選択のミスで地図で調べると志村3丁目駅で降りたほうが良かった。帰りはプラネタリウムのある教育会館のバス停から王子駅行きに乘り大和町バス停で降りる。この近辺に得意先があって、旧中山道があることを知っていた。江戸からの京都へ行く道の裏街道というべき道で最初の宿場となる。環状7号線の大和町陸橋に旧中山道が邪魔され車の量は少ない。昔の車の排気ガスが酷かった時、大和町と新宿区の谷底にある交差点の空気が酷かった報道の記憶がある。それより大気汚染が酷いと中国の人民日報で言われていたのが築地市場の仲卸売場の大気だった。当時はタレ-の大部分はガソリン車だった。
 旧中山道を板橋区役所へ向かって、途中の石神井川に架かる橋があって、これが板橋という地名の由来という。この川が王子方面に流れ、根岸へ向かう。
板橋区の観光センタ-で観光地図を眺めると区役所の位置が極端に東京中心部の位置にある。これでは西武線沿線の板橋区民は区役所に行くのに交通費と時間がかかりそう。戦後に練馬の住民が分離独立運動をした口実で役所へ行くのに遠いと言っていた。
 間も無く都営三田線に神奈川の相鉄線が乗り入れる。居眠りすると大変だ。
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アイアンハートの本を読んで

2023年03月08日 | 宅老のグチ
ようやく春の安定した気温になった。今までは暖かいと思っても寒風が来て冬物を整理する気が起きない。梅の花もようやく開花が終わり、サクラの話題になる。
今読んでいる本。昔と言ってもバブル期に活躍し、アメリカへ行った人の復活の本。記憶に残っていたのはサッカリンを調べていて記憶に残っていた。サッカリンという人工甘味料は不思議な後味が残る。

アイアンハート  -ゼロから12年で年商7700億円企業を創った不撓不屈の起業家- 折口 雅博著 

 日本の復活本と見て読んだが、読後の感想で日本は一度失敗すると中々立ち上がれない。誤った報道が訂正する時期を逸したり、弁解することの理解が無い。明治の末期にサッカリンで日本醤油醸造という会社が破綻した。これを支援していた北浜銀行の岩下清周が犯罪者となってしまった。折口 雅博氏の復活もまだ日本で訴訟が残っているようで完全復活まで時間がかかる。
 この本でアメリカの大学入試状況から、日本人の立場が弱くなったことを知る。人種差別ということから大学ごとに人種ごとの割合があって、日本人はアジア人枠に入っていて、異常な受験熱の韓国・中国とインド人との競争となる。これではまともな日本人はマメリカの一流大学には入れないことを知った。この本は折口 雅博氏の本というより、子供をアメリカへ連れてゆき、アメリカの一流大学に入る過程を記述した本のように思える。
 普通のアメリカ人は高校生の時から勉強する。そして大学ではさらに勉強する。日本は今でも一部の人を除くと大学入試がゴールとなっていて、復活は無い。そこから大過無く勤めれば良いとなる。変化の激しい今は安定していた大企業でもリストラは避けられない。給与が上がるためには転職という考えが出る時代となった。50代で見切りをつけるには遅いような気がする。平均寿命80歳代から考えると30年は残りの人生となる。また女性は50歳まで生きた人は100歳まで生き残るので夫に頼っていては悲惨な老後となりそうだ。
 老後は学歴も経歴も関係なく、老人となる。75歳を過ぎてやってきた後期高齢者健康保険証は地位、男女、学歴,職歴の区分なく一律で老人の証明となる。不思議な平等感がある。そこに時間が経てば認知症の割合が増え、相互の介護支援となる。これがまた予想・想定困難な事案で、準備していても死ということで杞憂になる人も多い。
 多様な選択肢のある老後支援サ-ビスの余地はある気がする。
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月曜は映画 エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス

2023年03月07日 | 宅老のグチ
多くの図書館とか郷土資料室は月曜日が休み。そして土日は混んでいて出る気がしない。そんな隙間の月曜日に出かける選択肢に映画が加わった。でも天候の加減で自宅蟄居も多い。6日は雨天気味だったのだがアメリカのアカデミ―賞の前評判の高い映画を見に行った。場所は二子玉川の楽天本社の3階にある映画館だった。予備知識なく見たので、8時40分からの上映で20分前にシルバ-パスを使って着いたのだが誰も先着者が無く、公開されて間もないのに月曜だからいないのかと思った。見た後の感想で予備知識なくこの映画を理解することは難しい。魔界転生とか輪廻とかの東洋知識、カンフ―的立ち回り、中国系女優によるアメリカアカデミ―の反白人層を味方につけている様だ。
 多分いくつかの賞は取ると思えるが、日本人の映画評論家がどのような解説をするかの方が面白い。かなり理解するのに難度が高い。解説によって理解出来たらもう一度見ることがあるかもしれない。映画の題名を即訳すると意味をなさない日本語となる。従って英語の題をカタカナにするしかなかったようだ。公開後、2週間たって1回見た人の二回目鑑賞割引とかの記念半券割引があったらもう一度見たい。
 映画館の下に蔦屋家電という店舗があって、本を販売しつつ関連の物品を販売していた。食の本を眺めつつ、発酵本で糠味噌系は見つからず、かえってコ-ヒ―とか酒系統に本と道具の品揃えが多いと感じた。次回はライズの蔦屋家電のついでに映画を観たい。

 おまけの感想
日本は確定申告の時期で、アメリカの国税の申告の様子がこの映画で感じる。税金は国家権力の先鋒でもある。何の比喩があるのだろうか。
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13日からのマスク踏み絵

2023年03月06日 | 宅老のグチ
シルバ-パスを使ってバスに乗っていて、時々くしゃみしたくなる。今はマスクの着脱論議中で、現状ではほぼ100%の人がマスクをしている。例外は幼児と赤ちゃんしか見かけない。ランドセルを背負っている小学生はまだ100%のマスク。
 チョット前まで不織布マスクで過ごしていたが、今は感染者数も減って、不織布から布マスクに変更している。ハウスダストとブタ草のアレルギ-があってくしゃみの時は手に布を持ち、マスクの上に覆いくしゃみをする。周囲の高齢シルバ-パス利用者の目がこちらに向けられる。ただ1回だけなのですぐに落ち着く。これが連続ならばバスを降りる判断が必要だろう。すると30分浪費することになる。花粉の時期で鼻がムズムズしている。今日は耳鼻科も予約を入れアレルギー性鼻炎の薬を処方してもらおう。
 何かマスク慣れで、逆に外すことに悩む女子高の親の話を知ると、昭和7年の白木屋デパ-ト火事で和服の女性が下着を履いていないで飛び降りることが出来なかった話を思い出した。顔を覆うマスクはもう下着感覚になったのだろうか。中近東の女性が顔を覆っている姿に日本も仲間入りしたのだろうか。
 13日から一応マスク規制が緩和されるが、花粉症の人と感染予防との見分けがつかず心の混乱がありそうだ。規模は小さいが体制変換の体験となる。明治維新、敗戦とコロナ明け。
 顔パンツは脱げるのだろうか。

 平時と思われていても、有事は隠れている。コロナとウクライナ戦争で核の使用の脅し。備えあれば脅しに屈しない。
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中央区の図書館で再び豊洲移転本を探す。

2023年03月05日 | 宅老のグチ
もう誰もあの騒動が忘れたようになっていて、街角に掲示されている都議会選挙の立候補の予定者に築地の・豊洲の問題は書かれていない。
 中央区の本の森の図書館郷土資料室の築地本もずいぶん減って凋落を感じる。コロナで飲食店・観光需要が減って、さらに緑の狸の築地復活の言動もコロナという予期せぬ援護で口先公約は誰も追及できない。前回のJR八丁堀駅の近所の中央区図書館で赤旗編集部の本を読んでいたが、後から検証するといかに築地の人たちが法を知らないで築地で仕事をしていることを赤旗編集部が一部の知り合いからの情報で書いていたことを知った。今回の訪問で前回読まなかった本2冊を読んだ。どちらかというと築地市場労働組合系から情報を得ていて書いた本。
 築地で働いている人たちは荷受会社以外で定期採用を行っている会社はない。その理由は勤務時間が世間とずれていて親族等の情報で勤める事か肉体労働系情報誌の広告を見て求人となる。年々減少して行く築地の売り上げは新規採用は欠員補充しかない。その様な状況で天下の築地だったころの記憶で利権とか語っていて、闇市時代の記憶をもとに書いていると感じた。大手の得意先はどんどん大きくなり広げることのできない築地市場から周辺の所に荷捌き所を設け、売り上げを別会計にしている所もあったと思われる。
 中央卸売市場法が宅配便の無い時代で制定され、地方の小さな生産者が市場を通さないと売れない時代から直接個人へ行くことを想定していなかった。労働組合系の情報で移転反対運動をしている人の矛盾も見える。豊洲移転時に水産仲卸は600ほどあって水産買参人という人たちが200名。この買参人というのが昔の感覚で魚屋さんのことで本来なら1000以上の買参人が無ければいけない。勢いの良い時に青果の八百屋の買参人団体が組合員の親睦のため、千駄ヶ谷の東京体育館で運動会をひらいた。それくらいの青果買参人の団体だった。八百屋の減少は魚より少ないがそれでも運動会を開催できる人数はいない。多くの消えた買参人はス-パ-等の鮮魚部門へ転職したと思われる。今の水産仲卸は自前の飲食店を持っている所が目立っている。
 今でも地下から汚染水が出ていることを東京都の中央卸売市場のHPから見ることが出来る。誰ももう話題にしない。地方から来た食材は築地・豊洲で滞在する時間は短い。さらに鮮度を管理するため発砲スチロ-ル容器に入れられる。当然だが市場内の空気が商材に移転させないようにしている。従って地下の汚染物質が洩れて市場の保管場所に入っても商材に汚染が移転する前に出てゆく事になる。セリは形骸化され通過するだけで規格化されているので蓋を開けることも店舗についてからである。開けなければコロナ・コレラの病原菌も入らない。このようになっているのに地下の汚染が労働組合系の情報で反対運動をしていた。築地で働く労働者の不安はアスベストと地下から出る汚染空気であって、商材に移転するとは思っていなかった気がする。築地の労働者は炭鉱のカナリアで商材に移転する前に健康を害すると思われるが移転反対派の言及は殆どない。そのため地下空間があったため騒いで無駄な公費と時間が過ぎた。豊洲市場の地下空間のモニタ-は今でも東京都が行っているが、豊洲市場の地上の施設の大気と同じか汚染が少ない。地上はトラックの排出汚染物質があって、電動化された豊洲市場の方がきれいである。全ては移転反対運動のための口実で、その反対をつぶすための阻止行動が東京オリンピック招致となり、結果だが数兆円の無駄使いとなり、その上天に見放され無観客のオリンピックとなって負の記憶となった。イベントの経済効果はトヨタが協賛していたのに宣伝を控えた。日本の零落は過去の成功体験の記憶のある老人たちの退場を迫っている。
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13匹目の金曜日

2023年03月04日 | 宅老のグチ
3月3日金曜日。都営浅草線宝町駅で降りて、地上に出ると大きな銅像があって小原鐵五郎さんだった。この銅像は見たことがあって、ビルの名前を見ると信金中央金庫だった。そこから3回目の訪問となる中央区立 本のもりちゅうおうへ行く。金曜日なので閑散。郷土資料室しか見ていないので全館巡り。福沢諭吉の時事新報縮刷版があった。
 郷土資料の所で築地本を探すがあれほど騒いだのに5ミリ程度の厚さの本が開架の所に数冊あった。これではまだ行ったことのない大宅文庫の方が週間誌等の記事が集積されていると思う。築地移転会議の10数年の会議録・議事録は移転完了後に処分したが約ミカンダンボ-ルのサイズで2箱以上あった。量が増えたのは豊洲の地下空洞問題からであって、一回の配布資料でA3版の紙が1センチくらいの厚さで配布された。それには豊洲市場の汚染物質の調査地点とその変化を印刷されていた。いずれ都立の公文書館で公開されると思うが時間と紙資源の無駄であった。いくら再生紙の使用と書いてあっても、これでは昔のようにトイレで使えない。
 前の京橋図書館では自由にコピ-が司書さんの前で出来たのだが今度はコピ-機の上に注意書きがあって、何か出版時期によってコピ-出来ないようだ。手伝ってもらい精工舎史の終戦時の南桜井工場の部分をコピ-した。中央区の図書館は紙質のことにうるさく、昭和30年代以前の本は貸し出しが出来なくなり、ネット等で予約し館内で読んで返し、必要なら何回も繰り返す。
 家に帰って老犬の散歩。夕方に新聞を取りに行くと何か鳴き声がするので見ると13匹目の子ネズミが粘着シ-トに捕まっていた。まだ生きていたのでそのまま放置すると今朝玄関を出るとシ-トがひっくり返っていてもがいたのだろう。ゴミ出し日なので袋に入れて処分。転居の後8ケ月で13匹目となる。やはり古い町の木造家屋には多くのネズミが住んでいる。嫌われ者のネズミだが浦安の大型遊園地では子供たちの人気でもある。ネズミ年もある。八丈島の文献を読んでいた時、住民が貯蔵していた食料をネズミに食われ餓死寸前まで行ったという。その後に薩摩芋が八丈島でも栽培できるようになって餓死の問題は消えた。江戸時代は何回か飢饉があったが薩摩芋の青木昆陽が評価される事の実例を知った。この昆陽の墓というのが目黒不動尊にある。
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70歳のお楽しみ 東京都民へ

2023年03月03日 | 宅老のグチ
この時期は退職時期でもあって、送別会の飲食需要もある。築地では年末需要に次いで多かった気がする。自分も55歳を過ぎたら残りをどのように過ごすか考えていて情報が男性のみが好むような情報が多かった気がする。そこで様々な条件を想定し、当てはめると普遍的な老後の行動は古典的な行動規範にする方が前例があって他者への言い訳をしやすいと思った。多くの退職後の友人たちが今までの地位で付き合っていたことがすぐにわかってくるし、70歳になれば若手も育ちアドバイスも時代遅れとなる。IT技術の進歩は激しく、以前なら情報の時間差で利益が出ていたが、今では先手を打たれて値上がり対策をしたり、他社への見積もり依頼で値上げ阻止となる。そんな平成デフレも間も無く変化する。継続するかしないかは70歳の身では関係ない。物価が上昇しようと年金の上がり方は少ないし、さらに遅れて来る。その上偶数月の年金支給日は以前のス-パ-では給与所得者の支給日が多い25日の特売が多く計画され、15日から24日までの資金(財布の中身)が少ない時は控えめな特売が多かった。
 東京都の高齢な富裕層に向けて、年金支給日に割と良い品を特売しているス-パ-が出始め、今では15日の早朝に高齢者への特売があるところもある。2か月生き延びてさらに健康だったご褒美ということという。あまり節約で生き延びても、遺産争いの元になるし、あの世にお金は持ってゆけない。
 そこで70歳の都民には高額な住居費(固定資産税)と住民税のご褒美としてシルバ-パスがあることを教えたい。住民税非課税所得者は1年間が都内の都営、民営バスが乗り放題となり、高額所得者は20510円を支払えば同様のパスが使える。昼間のバスは乗客の大部分が老女子の時が多い。
 千葉県市川市の図書館へ行ったとき、都営新宿線の終点の本八幡駅までパスが使え、さらにニッケコルトンプラザという大規模なショッピングセンタ-まで駅から無料バスが出ていて、そのショッピングセンタ-の隣に図書館があったので交通費が無料だった。ここの図書館は行徳の塩業の資料が自由に手にすることが出来た。高齢退職者は無理して働かないと収入は増えないし、体力が衰え、さらに健康診断という法的な健康チェックが無いので適切な医療を受けられない。運任せとなる。
 お金がかからず交通費もか掛からない施設が都内には多数ある。その代表例は図書館でほぼ無料である。一回の利用料が100円という図書館があることを知って、まだ利用していない。上野の国立博物館は高齢者は無料、多くの施設は割引がある。有料であっても早朝割引があったらと思う時もある。高齢者は早起きとおもう。始発電車で築地に通っていた時、乗り合わせるの釣り道具の人たちだった。JRも高齢者へ早朝割引があれば遠距離の観光を促進するだろう。早朝ならば殆ど座れてゆけるし、都心まで行って下りは反対方向なので通勤時間でも揉まれない。
 高齢者数が多いのにガイドブックが少ないと感じる。
基本 交通費無料で行ける。
   入場料も無料
   試食も無料
   空調がある 
   奇麗なトイレ情報
   バス停乗り継ぎ情報
   劇場等の割引情報
   雨天でも利用のできる所

 地方のイオンのショッピングセンタ-は子供たちの放牧場という。安心していて孤独感が消える。何も買い物に行かなくても良いという。昔のコンビニの立ち読み容認ということに似ている。

 寝ながら頭の中で明日の行き先を考えていた。その中で月曜日の行き先が少ない。
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バビロンという映画を観た。ハリウッド映画技術興亡史

2023年03月02日 | 宅老のグチ
昨年に引っ越しし、家が狭いので古いテレビを処分した。次の転居までTVのサイズが決められず、今の所TV無しで済ましている。すると無性に映画が見たくなり、さらに演劇にも関心が行っている。シルバ-パスを使って行くので工夫すれば都内の繁華街の演劇鑑賞施設には交通費がかからない。さらに70歳以上の割引があって、命の残りと、健康のためにバス便を使いまわしている。
 間も無く新宿に新しい高層の建物中に映画館が出来るようだ。話のタネに行ってみたい。国立劇場で歌舞伎を見た後落語等も興行しているのでのぞいてみたい。
 さてバビロンという映画を観たのだがハリウッド映画の変遷の中での時代の変化に追従できない俳優のことを描いている。1930年代は大恐慌の時でその前は第一次大戦でイギリスが覇権国の地位からアメリカとなった時期だった。ニュ-ヨ-クに行ってエンパイアステートビルにに上った時、説明で1930年頃建っていたことを知り、こんな国と戦争したのかと思った記憶がある。この時期は日本の農村不況で酷い時代で国民の目を日本陸軍が中国大陸の方に向けさせていた時代だった。結局歯止めがきかずアメリカとの戦争まで行ってしまった。
 バビロンを見た後、日本の戦後のテレビ放送史を思い出した。確かNHKがテレビ放送したのは昭和28年2月から白黒テレビ放送だった。その後日本テレビが出来て麹町にアンテナを立て放送が始まった。1インチ1万円というテレビの値段だった。今の液晶の32インチのテレビが2~3万円ほどでさらに色が付いていない時代をどう説明しようか悩む。バビロンでも映画の技術変遷を描いていて、栄枯盛衰は世の習いと諺を思い出した。映画を観るという行動も大画面テレビで家でネット経由で見るということがどんな興亡の歴史を作るのだろうか。日本のテレビ業界も先行き不安な若手のテレビマンが過去の成功体験の老幹部たちへ不満があって転職を考えていると言う。その基本はテレビを見ている人たちの高齢化で宣伝しても販売促進効果が無いと見下し始めてきているのだろうか。特定の人にネット広告は出稿できるし相手の数も把握できる。
 貧すれば鈍す。栄枯盛衰は世の習い。大手だったパチンコ製造会社が廃業という。我が家の近所の駅前パチンコ屋が保育園となった。この保育園も間も無く少子で高齢者施設に変化するだろう。良い時は短く衰退は長いと感じる。
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