最近、色々と考えているうちに一つの結論みたいなものが出てきた。
世の中で言う『勝組』と『負組』。
会社の中で『勝組』というと、職位が上がって行く人間なんだろうけど
僕みたいに元管理職で、役職定年後に元部下から干されちゃうような人間は
『負組』なのでしょう。
そんな事をあれこれ考えているうちに、精神的におかしくなって来ちゃったんだけど、
ここへきて開き直ったら、『勝組』と『負組』に関して別のものが見えて来た。
僕の居る子会社には、僕のように本社に居場所がなくなって流れて来た人間が殆ど。
いわゆる『掃き溜め』みたいな部分が多々ある。
本社で使える人間なら、まず子会社には来ないからね。
そう云う意味では、たとえ子会社で役職についたとしても、所詮は『負組』。
僕のように希望して来たとしても、傍から見れば同じなのですよ。
ところが子会社に来た途端に、『負組』が『勝組』に変わる。
子会社と言う「村社会」では、都会から来た人間が凄く見えるのでしょう。
でも「村」の中でも有能な人間は居る。
そう云う少数派の人間に子会社運営の核となる立場を任せればいいのだけれど、
往々にして、村の長老みたいなのは都会から来た人間に従ってしまう。
まぁ、これはこれで良いのでしょうけれど、いつまで経っても
垢抜けない「村社会」は変わらない。
村社会に来た『勝組』の性質が悪いのは、元々『負組』だった事。
都会に居た時に出来なかった事を、村に来てやろうとする。
都会に居た時に出来なかったのは、単に能力が無かったからなのに、
村に来た途端に、自分の能力の無さが原因で出来なかった事を、
あれこれ理由をつけては自分を正当化する。
今回は敢えて自慢するけれど、僕は都会で実績を挙げている。
前にも書いたと思うけれど、誰も手を出さなかった事を幾つもやって来た。
それを村で吹聴した事は無いけれど、ちょっと調べれば都会での事はすぐに判る。
村の人間が都会や他の地方に行った時に、何処へ行っても僕の噂を聞くから・・・・
能力が無くて、任されなくて、実績も無い人間が村に来てそれをやろうとしても無理。
周りが都会の事を知らないのを良い事に、村でリーダーになって
あれこれ仕切っているんだけれど、僕が見る限り、
やっぱり都会で見て来ただけで、実際に経験して来て居ないのが良く解る。
都会のレストランの話をしても、実際には食べた事が無い。
食べたとしても1回程度、お呼ばれで行ったレストランの味は、何を食べても「美味しかった」としか言えない。
村に来て、それを再現するつもりで、料理の材料を揃えてみたところで、
料理の手順や、細かい火加減などのノウハウ的な、本当に大事な作り方の部分までは知らない。
結局、その『料理』は見た目は似て居ても、同じ味には出来ないのです。
それでも村では、その似たような物を「美味しい」と言って満足してしまう。
田舎のリゾート地へ行くと、生活感が漂って長靴履いたおばちゃんが、
レストランの厨房に居て、大きな鍋で掻き回しながら味付けして居る感じ・・・・
そんな訳で、最近は『勝組』『負組』なんて村社会では意味が無いんだと、
思うようになって、気持ちが楽になってきた。
可哀想なのは、少数派のやる気と能力のある人間たち。
実は、若い人は村社会に慣れちゃって、都会の厳しい生活なんて知らないのですよ。
それが多数派を占めているから、少数派の人間たちは逆に浮いてしまい、
「不満分子」みたいに扱われる。
そう言えば香港の民主化運動も、そんな感じですね。
大きな岩を動かすのは簡単じゃない。
僕も結局は岩を動かす前に遠ざけられちゃった。
そんな事が見えてきて、少しずつですが心の修復が進んできている気がします。