母と姉が逝って半年が過ぎた。
姉は隣の棟に住んでいた母を気遣ってよく来ていた。直接母の方の玄関から入るものだから隣に住む私達には来たのか分らなない時などがあって、不意に「今日は」と声をかけられて驚くようなことがちょくちょくあった。
母は母で毎朝仏壇に手を合わせてお鈴をしっかりと打って、自分の元気をアピールしているようだった。その音を聞きお早うの声に、今日も母は元気なのだ、と安心した。
二人が逝ってしまってからは元気な時に気にもしなかったようなことがあれこれと思い出されたり、今も近くにいるのではと感じたりすることがある。本当に不思議である。しかし二人はもういない。
去るものは日々にうとし、というけれど、思い出は時間と共に深まっていくように思えて来る。思いでは薄まっていくことはない。
姉は隣の棟に住んでいた母を気遣ってよく来ていた。直接母の方の玄関から入るものだから隣に住む私達には来たのか分らなない時などがあって、不意に「今日は」と声をかけられて驚くようなことがちょくちょくあった。
母は母で毎朝仏壇に手を合わせてお鈴をしっかりと打って、自分の元気をアピールしているようだった。その音を聞きお早うの声に、今日も母は元気なのだ、と安心した。
二人が逝ってしまってからは元気な時に気にもしなかったようなことがあれこれと思い出されたり、今も近くにいるのではと感じたりすることがある。本当に不思議である。しかし二人はもういない。
去るものは日々にうとし、というけれど、思い出は時間と共に深まっていくように思えて来る。思いでは薄まっていくことはない。