ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

いろいろおもうこと

2007-02-13 17:26:54 | Weblog
  
      山折哲雄の“ブッダはなぜ子を捨てたか”を読んだ。
      本のカバーの、子殺し、親殺しの時代に「よみがえるブッダの思想」
      のコピーに引き付けられて買ったのだった。

      読み終えた感想は、ただうーん、と思うだけでよく分らなかった。
      ただ一ケ所「今なら死ねるか」という著者の心情のような心の揺れる
      様子が書かれ部分があって妙にそのところが心に残った。

      自分も時々同じように自問することがあるものだから、偉い宗教学者
      も凡人と同じようなことを考えることがあるのだと本の主題とはあま
      り関係のないようなことを思ったりした。

      不思議なことに一年程前に観た彫刻家中村晋也の等身大のブロンズの
      釈迦十大弟子像のもつ名状し難い表情や雰囲気が山折哲雄の本を読ん
      で初めて分かったような気がした。彫刻家の表現力も凄い。

      人生って波打ち際の砂に記した足跡みたいなものなのに何時までも続
      くように思ってる。まあそう思わなければ・・・・・



  

目がかゆい たまらない

2007-02-10 18:00:28 | Weblog
        いくら暖かい冬だといっても一寸早過ぎる。
        目が痒くて堪らない。
        花粉症の始まりだ。

        今朝は二階の寝室から下りると突然くしゃみが連発して
        とまらなかった。おまけに鼻水まで出て来る始末。
        ああまた辛い季節の始まりだ。
        暖冬といってもまだ杉花粉は無いと思うのだが?
        湿度の所為だろうか。お天気の具合だろうか。

        それにしても終戦間も無い子供時代には細い竹の筒鉄砲を
        作って筒口に杉の実を詰めて空気圧で飛ばして遊んでいたのに、
        杉花粉のアレルギーを発症するなんて合点がいかない。
        年のせいもあるかも知れないけれど、環境や食べ物が大いに
        影響しているのではないだろうか。

        春は曙のいい季節に向かうと云うのに私にとっては憂鬱な季節の
        始まりだ。
        
        苦くてもいいから誰か良薬を発明してくれないかなあ?

宇宙飛行士の恋

2007-02-09 12:12:28 | Weblog

驚いた。こう云ったことが起こることも可能性としてはあった筈だ。
しかし誰も想像していなかった事態だ。もしこの事件が殺人事件で宇宙で起きていたら地上の対処はどうなのだろう。
完全な遠隔操縦ができて強制的な帰還をさせれるのだろうか。恐らくは無理だろう。劇映画のようなシーンが展開され、スペースシップの命運も主役の犯人の判断に委ねられて、どきどきしながらひたすら帰還を待ち続けなければならないだろう。

現実には本当に予測のつかない、事実は小説よりも奇なり、の事態が起こるものだ。

冬に咲く花

2007-02-06 18:26:00 | Weblog
        今日は本当に穏やかなだ。
        冬というには暖かすぎる。
        八十才になろうという叔父が単車で颯爽とやって来た。
       「寒くないの」というと「全然」といって笑いながら
        玄関わきのサイネリヤの花を屈んで指で撫でて、すぐ
        左側のメダカの壷に目をやって、「これはメダカじゃない、
        ちょっと大きすぎる」と驚いていた。
        下の方に隠れているメダカも暖かさに誘われて出てきていた。
        メダカは宇宙へいったメダカの子孫だ。

        室内の温度計を見ると20度近くになっていた。
        温いとは感じていたが温度を確認して納得した。
        寒さは好きではないけれどあまり暖かすぎるのも気味が悪い。
        温暖化が進んでいるのではと不安になる。
        日本に春夏秋冬の四季が無くなってしまったら大変だ。

        ニュースで百何年ぶりと聞くと、過去にもあった訳だから
        一概に温暖化の所為ばかりとは言えない、と不安を打ち消して
        みたりしている。

        それにしても世界中で天候の異変が起きているようで心配だ。



 

去るものは日々にうとし、というけれど

2007-02-05 17:33:38 | Weblog
母と姉が逝って半年が過ぎた。
姉は隣の棟に住んでいた母を気遣ってよく来ていた。直接母の方の玄関から入るものだから隣に住む私達には来たのか分らなない時などがあって、不意に「今日は」と声をかけられて驚くようなことがちょくちょくあった。
母は母で毎朝仏壇に手を合わせてお鈴をしっかりと打って、自分の元気をアピールしているようだった。その音を聞きお早うの声に、今日も母は元気なのだ、と安心した。

二人が逝ってしまってからは元気な時に気にもしなかったようなことがあれこれと思い出されたり、今も近くにいるのではと感じたりすることがある。本当に不思議である。しかし二人はもういない。

去るものは日々にうとし、というけれど、思い出は時間と共に深まっていくように思えて来る。思いでは薄まっていくことはない。


ワタリガニを食す

2007-02-04 22:27:27 | Weblog
同級生と毎月開く食事会の年間ハイライトイベントであるワタリガニを賞味した。大皿に盛られた一匹のワタリガニをビールと熱燗を飲みながらひたすら食べるだけだ。それにしてもやけに大きいカニだ。誰かがおもちゃのメジャーを取り出して甲羅を計っていた。「お~いやはりでけ~ぞ30センチもある」と興奮していた。これだけの大きさのものを10人分揃えるのは大変なのだそうだ。我々も一月前に予約を入れてやっと会が開けたのだった。それにしても一匹を完全に食べ終えるとお腹一杯になった。後で鯛飯とお汁が出されたが殆ど食べれなかった。ただ一匹の煮付けたカニだけで料理と言えるかどうか、と思うけれど、私はこれぞ食の原点だと思う。しかし一番の難点は高額なことだ。ワタリガニ一匹食べて一万円だ!それでも美味しかった。また行きた~い。

長谷川慶太郎の日本と世界の大潮流を読む

2007-02-03 16:45:35 | Weblog
自分の今までの知識は老眼鏡を掛けずに新聞を読んでいるようなぼんやりした曖昧なものだった、と実感した。一つ原油高の原因につても先物取引の市場へ大量の行き場のないお金が流れ込んで利鞘を競っているだけで長期的な心配の要因ではない、と言っているのは尤もかなと思う。実際の油は不足しているわけではないらしい。ただアメリカを例にとると、製油所不足で十分な供給が出来ないらしいのだ。あの広い国土に13ヵ所しか製油所がなく、そして30年間も製油所が一か所もつくられていなかったなんて信じられない。その原因は石油精製で大量に使う水にあった。
アメリカは建国以来水の管理の権限を陸軍が持っていて、軍の方針として環境保護の立場から許可をださなかったらしい。最近大統領権限で方針転換を図りつつあるそうだ。しかし時間とお金のかかることだからマダマダ当分現状が続くのでしょう。そういったことが原油高の裏に隠れていたなんて知らなかった。
更に今のように低開発国が世界経済に参入してくるとデフレ基調で経済が推移して益々価額競争が熾烈になって、日本の出番が広がってくると言うのです。そのわけは日本の省エネ技術や工作機械を利用しなければ競争に勝ち抜けないからです。政治ではなかなか本当のリーダーにはなれませんが民間の技術力では世界のリーダーになりつつある、と確信をもって書かれていた。
そして中国にも言及していた。果たしてどうなるのか??
今まで一寸敬遠気味にしていた人だが一読して虜になってしまった。
日本と世界の大潮流を垣間見たようだ。

土手で自転車が寝ている

2007-02-02 21:39:55 | Weblog
北朝鮮の船が古自転車を満載して帰るのを見るたびに、どうしてあのように沢山の古い自転車が日本にはあるのだろうか、と何時も不思議でならない。きっと昔のように物を大事にしなくなってしまったからだろう。それに加えてモラルの低下などで盗難や遺失物などの増加によるのかもしれない。上の写真は誰かがひとの自転車を盗んで乗り捨てたに違いない。最近は道端に乗り捨てられた自転車をあちこちで目にする。盗んだ者を捕まえて詰問すればきっと「ちょっと借りただけだ」と言うだろう。駅や港のターミナル周辺に無造作に置かれた状態を見ると、彼らの言い分にも一理あるような錯覚に陥りそうにもなるが、善悪のけじめはつけさせなければいけない。それにしてもどうして何もかも必要以上につくるのだろう。経済戦争に勝ち残らなければ・・・・未来はない?果たして勝ち残って・・・未来はあるのか?あああ難しいことになってきた・・とりとめもない・・やめよう・・・・・

青春の空へ

2007-02-01 22:10:23 | Weblog
昨日も昼食をすますと何時ものようにテレビを見ながら寝そべっていた。肩の凝りをほぐそうと上向きになって大きく背伸びをすると反った頭の向こうに冬の空に浮かんだ雲が隣の屋根の間に見えた。その時45年も前の青春時代の風景が蘇ってきたのだった。それは誰もいない冬の白い砂浜の風景だった。大の字になって空を見上げていると周りの風景が消え去って空と雲だけの世界になってまるで空に浮かんでいるような錯覚を覚えた体験だった。どうしてお思い出したのかわからない。それにしても鮮明に覚えていたものだ。同じ状態で浜辺に寝そべって空を見上げると今はどのような気分になるのだろう。青春が蘇るのだろうか?それにしても遠くに来てしまったものだ。